筑波鉄道・その4 | きゅうの鉄道写真館

きゅうの鉄道写真館

きゅうの休憩室から鉄道関係を移設しました。
ドールに興味のない方はこちらで。



こんにちは。

1987年3月、春分の日
筑波鉄道は終焉も近づき
ヘッドマークの掲示も始まりました。
真鍋の車両基地も一般公開されたので
さっそく行ってみました。




車庫周辺
なんだか車庫の奥には
蒸機が眠っていそうな雰囲気です。


給水タンク
灰落しも残っています。
庫の中はからっぽでしたが…
模型なら古い輸入タンク機など

置きたいところです。


隣は2線の車庫
DLのシルエットとバス窓の気動車
ひと昔前の景色みたいです。
ていうか、実際そうであったか…



DD501と木造車庫
庫の中の気動車はキハ511です。
1970年に江若鉄道から転入、常総線で
使用後、筑波鉄道に転属しました。
ブタ鼻のヘッドライトが特徴的です。



DD501
DD501は1954年・新三菱製で
当初は常総線に配置、
1973年に筑波線に移動しました。
450馬力(225HP×2)の強力機です。


国鉄から乗入れの臨時列車の牽引で
活躍しましたが撮ってません。
じつは筑波号は一度見ています。
小学校に入ったばかりのころ、家族で
筑波山に行った帰り、筑波駅ホームに
いかにも汽車らしい旧型客車が停車中で
同級生の百合子ちゃんとばったり遭遇、
筑波号に乗込んでいきました。
僕もあれに乗りたい、と父に言ったら
ワッペンがないと乗れない、といわれ
気動車で帰ったのがとても悲しかった。


バスとケーブルカーを乗継いで山頂にも
行ったはずですが、筑波山のことは全然
覚えていなくて、汽車に乗れなかった
ことだけがはっきり思い出されます。


今、時刻表を見ると「一部自由席」と
なっているではないか!
うーん・・・
(ワッペン列車とは:
 指定席ではないが事前にワッペンを
 買った人だけが乗れる定員制の列車…
 だったと思います)



キハ301出動
気動車の前面には「さようなら」の
ヘッドマークが付きました。


キハ504・503
503、504の側面には筑波山のイラストと
ありがとうのメッセージが描かれました。
右(503)は本線を通過する下りです。
終焉間近の休日でけっこう乗ってます。



キハ504+キハ760形
キハの向うは駅のように見えますが…
元真鍋駅で、新土浦ができたときに
貨物駅に転用されたそうです。


同じ列車を反対側から
向うに写り込んだ古い気動車は…




キハ461
元は1934年製のキハ41000形です。
国鉄時代に41200、41300と改造が進み
最終的にキハ048と改称されました。
1958年に遠州鉄道へ、北陸鉄道を経て
1972年筑波線にやってきました。


国鉄時代の形式変更は41000(ガソリン)
→ 41200(ガス)→ 41300(ディーゼル)
と燃料の変化によるものです。
1957.4.1形式称号改正でキハ04形に。


筑波鉄道廃止後は、有志による保存活動
の結果、交通公園に保存展示の後、
殿堂(鉄道博物館)入りしたことは
ご存知のとおりです。


キハ41307 (鉄博)
旧塗装に戻されて展示されています。




車内の様子
同型が片上鉄道で現役だったころです。
車体幅が狭いため、いすも小さい。
1.5人掛けサイズでした。
運転席は半室です。

(腰高の仕切のみで室になってないが)


キハ541
もう1両、古い気動車がいました。
1957年日車製で1972年キハ461とともに
北陸鉄道から筑波線に転入しました。
車体は張り上げ屋根で新しそうですが、
前後の荷台やTR29台車など古い形で
不思議な外見でした。
荷台が無くなった姿を想像してみると
北陸鉄道の電車に見えてくるかも…?
キハ461、541とも廃止のかなり前から
休車になっていたようです。



職員さんも記念写真


ところで真鍋の車両基地の跡地は…
現在は関鉄バスの車両基地(事業所)
になっています。

次回はさよならの風景を…



本日もご乗車ありがとうございました。