日立電鉄 その1 | きゅうの鉄道写真館

きゅうの鉄道写真館

きゅうの休憩室から鉄道関係を移設しました。
ドールに興味のない方はこちらで。



こんにちは。
スキャナーが不調ということで
本日も昔のCD-ROMからご覧ください。


日立電鉄は常北太田~大甕~鮎川を結ぶ
ローカル私鉄でした。
昭和4年に常北太田~大甕間を開業した
ころは常北電鉄という名称でした。
戦時中に日立製作所の子会社になり
高萩まで免許を取得しましたが頓挫、
兵器増産のため水戸~日立間の工場建設
と高速鉄道整備計画も敗戦で消滅。
戦後わずかに鮎川まで線路が延びました。
工員輸送の目算が外れてしまった後は
最後まで 生き残りをかけた経営改善と
合理化の歴史だったと思います。

(鉄道でワンマン運転を最初に始めたのが

 日立電鉄でした)


平成2年1月16日
前日の天気予報では雪だったので
早起きして出かけました。
常磐線の普通列車で大甕(おおみか)に
着いたのは9時すぎでした。




モハ13 (モハ13形)
9:11発 常北太田行きが見えたので
常磐線ホームから見送りました。


時刻表 (大甕・常磐線ホーム)



大甕駅構内
一旦JRの改札を出て切符を購入、
改めて日立電鉄のホームに入りました。


日立電鉄の大甕駅ホームが立派なのは
水戸~日立間の高速鉄道計画で、

もとは国鉄大甕駅の東側にあった駅を

西側に移転したためです。


構内には気になる電車たちが留置されて
いましたが個々の車両については後ほど。





モハ10 (モハ9形)
9:47発 鮎川行きがやってきました。
ホームから見ると、線路は水戸へ向けて

真っすぐに伸びていますが、この先で

急角度に左折し常磐線を乗り越え、

旧常北電鉄線に接続します。



モハ12 (モハ11形・久慈浜)
大甕9:46発の常北太田行きに乗車、
久慈浜で下車して見送りました。
雪景色を撮りたくて来たので
さっそく沿線を歩いてみました。



モハ13
朝、見送った電車が戻ってきました。
久慈浜~南高野間には
唯一のトンネルがありました。
山というよりは丘くらいですが、
丘の上を常磐線が切通しで抜けています。




モハ15 (モハ13形)
モハ13~16は旧相模鉄道(国鉄相模線

の前身)で活躍した元キハ1000形です。
ローカル気動車的な面影があるのは

その前身によるのか、塗色によるのか…

たぶん その両方だと思います。






上り普通と下りひたち
少し電車の間隔が開くので、

丘に上がり常磐線も撮ってみました。


久慈浜~南高野間は1㎞しかないので
先へ歩き、南高野から乗りました。
次は大橋で下車、沿線随一の名所(?)

だった大橋高架橋へ向かいます。




モハ12



モハ10

大橋は旧陸前浜街道(現国道6号線)の
宿場町で往時の幹線道路と交差するため
高架橋が建設されました。

(ガードの下をくぐるのが旧街道)
なぜこんなローカル線に、
と思うような場所にある高架橋でした。




モハ13
大橋駅に進入してきます。
後方奥に写る陸橋は現国道6号線。
左の大きな農業倉庫に旧宿場町の
栄枯盛衰を感じます。
この先は田んぼの中を進みますが
寒かったので終点まで乗っちゃいました。



モハ13
常北太田まで乗ってきた電車です。



常北太田 構内
右奥が乗ってきたモハ13です。
個々の電車についてはまた今度…



時刻表 (常北太田)


わざわざ雪の日に 初めて訪問するなど
ちょっと変ですが、ローカル私鉄巡りに
夢中になっていたころなので、
自分的には楽しかったと思います。
近々に再訪するつもりで
日立電鉄をあとにしました。



キハ40 (水郡線・常陸太田)
常陸太田(ひたちおおた)駅はJRです。
常北太田(じょうほくおおた)駅とは
向かい合っていました。
日立電鉄になったとき 日立太田に改称し

ていたらややこしいことになったでしょうね。




上り ひたち (水戸)
水郡線で水戸に戻り、常磐線で帰ります。
乗車するのは もちろん普通列車でした…


6000形 (鹿島臨海鉄道)
鹿島臨海鉄道は当初 国鉄鹿島線

(香取~水戸)として計画されましたが

結局、鹿島神宮~水戸間については

第3セクターで開業しました。

その名残で現在も常磐線ホームの端から

発着しています。


(続く)



本日もご乗車ありがとうございました。