こんにちは。
今回はつくば科学博覧会について
振りかえってみます。
前回の大阪万博(1970年)のときに
大きなイベントを契機に交通機関も
整備されてきた、と書きました。
次のイベントとしては札幌オリンピック
(1972年2月)がありました。
このときは前年12月に
札幌地下鉄が開業しました。
現在では地下鉄なしの札幌の生活は
ちょっと考えられませんね。
1975年には沖縄海洋博がありましたが
あいにく沖縄には鉄道がなかったので
鉄ちゃん的には注目すべきものはなし。
日本返還の記念で行なわれた博覧会で、
復帰と同時に右側通行から左側通行に
変わるという、道路交通的には
一大事件がありました。
さてその次、つくば科学博覧会は
日本で行われた国際博覧会では3番目。
1985年3月17日から9月16日まで、
市街地(研究学園都市)の中心とは
少々離れた谷田部の田んぼの中で
開催されました。
鉄道駅からも離れていたので
バスによる連絡が必要でした。
国鉄(当時)は3月14日のダイヤ改正で
大きな変革がありました。
まず東北・上越新幹線の上野駅乗入れと
スピードアップで到達時間の大幅短縮
(上野-盛岡・最速2時間45分)に伴い
東北夜行の削減がありました。
つくば科学博の地元 常磐線では
特急格上げによる急行の全廃・・・
455系 ときわ
キハ58系 ときわ
それまでは特急ひたちと急行が
ほぼ半々で1時間に1本ずつでしたが
ひたちが正午前後を除き毎時2本に増強、
26往復(上野-水戸)になりました。
ゆうづる4号
ゆうづる6号
ゆうづるは5往復→3往復、
急行の十和田は廃止されました。
時刻表 1985年3月号
よく見るとひたちは万博中央(臨時駅)
には停車しません。
バスへの乗換客の集中を避けて
混雑を分散させるため と思われます。
シャトルバスは牛久、万博中央、土浦
から出ていました。
ひたち (藤代)
クリームスカート、ひげ有り
以前から走っていた標準タイプです。
ひたち (北千住)
クリームスカート、ひげ無し
ひたち (北千住)
赤スカート、ひげ無し
九州からの転入車だと思います。
ひたちは本数が倍増したので、
各地からの転属がありました。
配置は勝田電車区ですが、すべて
ボンネットタイプで統一されてました。
赤スカートは50Hz専用の印しだよ、
という人がいますが、本当は交直電車
の意味で、新製当初に配置された
向日町には181系も存在していたので
間違えにくくするため、だそうです。
そもそも クハ、クロ、サロ、サシ、
サハは50・60Hz共通ですから。
クハ481 (上野・1970年)
何かの都合で北陸線のクハが
仙台に配置されてきたときの写真です。
かなり昔からやりくりはあったようです。
(電動車以外は共通に使えました)
ひたちと並び輸送の中心となったのが
エキスポライナーです。
ご存知のとおり取手・藤代間に
交直切換セクションがあるため、
気動車か交直流電車・機関車が必要。
つくば科学博覧会会場へは、
万博中央が最寄駅でバスで20分。
(土浦、牛久からは30分)
超大型の連接バスも走っていました。
キハ58系
科学博覧会 開会の前週まで急行ときわ
で走っていた車両なので慣れたもの。
キハ58+28の基本ユニット×4で
8両編成を組んでいました。
583系
ゆうづる や はくつる からの転用です。
エキスポライナーのヘッドマークは
用意されず、臨時ですませました。
EF81+12系
こちらは波動輸送の専門家ですね。
方向転換が苦手なので上野や大宮からの
直通列車を中心に担当しました。
(583やキハは我孫子 取手折返し中心)
401、403、415系
(北千住駅の東武6000系が懐かしい)
それまで常磐快速線は12両編成が最大
でしたが、ホームを延長して15両対応に、
車両のほうもサハ411を新造して
15両編成化を行ないました。
7+4+4 15両編成
クハ401 初期型
つくば博 時点ではまだモハ400・401も
残っていて、ともかくフル稼働でした。
もうひとつ、特別な列車として
エキスポドリーム号がありました。
583系 エキスポドリーム号
土浦発・万博中央行き(9.2㎞ 10分)の
日本一短距離の寝台列車(?)でした。
土浦駅で午後9時半ころ乗車し、
翌朝まで側線に退避します。(下車不可)
朝7時半過ぎに再びホームに入線した後
(このときは下車可)
万博中央まで走行し客扱い終了。
乗車券・寝台券合せて3150円でした。
車内販売もあったそうですが、
乗ってないので詳しくはわかりません。
今思えば乗っておけばよかった。
音と振動のない寝台車の乗り心地は??
(宿不足のホテル代用でした)
20系 エキスポドリーム号
夏季繁忙期になると583系は臨時列車
ではありますが本来の仕事につくために
離脱、替わって20系が充当されました。
どうせなら583系のほうがマシですね。
20系の場合は藤代で退避後、
土浦に戻るため両端にEF80を連結、
機関車付け替えの手間をはぶきました。
EF80は 29・39・63号機が
この仕事につきましたが、
つくば博終了の翌週、さよなら列車を
重連で牽引しほぼ引退しました。
最後にもうひとつ…
C56 奥久慈号
つくば科学博覧会を記念して、
4・5月の連休に水郡線を走りました。
このときの万博輸送は
つくば科学博という特別な需要と
ダイヤ改正をうまく当てはめて
余剰車両に最後にもうひと働きさせた
うまい作戦だったと思います。
新しい乗り物としてはHSSTが登場、
のちに愛知で実用化されました。
また、つくばエクスプレスは奇しくも
つくば博開催期間中の1985年7月に
運輸政策審議会の答申を受け、
建設が決まりました。
(正式な名称は常磐新線といいます)
本日もご乗車ありがとうございました。