こんにちは。
1970年 大阪で万国博覧会がありました。
日本の交通機関はイベントを契機に
大きく発展することがよくありました。
明治23年、上野の勧業博覧会で
電車が走ったころ…
まで遡ると話が見えなくなりますが、
1964年の東京オリンピックは
新幹線の誕生と重なります。
本題に戻って、大阪万博の前年
東名、名神高速道路が全通し国鉄の
ハイウェイバスが走り始めました。
中央口
万博開場南側中央がメインゲートです。
高速道路(当時は名神直結の枝線)を挟み
向い側にバスターミナルができました。
会場内の移動は1周4.3㎞、16分の
循環モノレールがありました。
このモノレールが本日最初のエポックで
ATO・ATSSによる自動運転でした。
初めてのシステムだったので、安全確認の
ため乗務員がいて発車ボタンの操作のみ
行なっていたそうです。
(つくばエクスプレスと同じような感じ)
現代の無人運転のさきがけです。
車両基地
15m級4両編成(定員540名)が
6編成あり、うち5編成が稼動し、
中央駅を含め全7駅、料金は無料でした。
初代ドリーム号 (交通科学館)
前年登場の国鉄夜行バス・ドリーム号です。
東京発 万博経由大阪行は1号2230→730
と2号2300→800の2本ありました。
料金は2400円、新幹線の3730円よりは
割安でしたが現代よりは差が小さいかも。
当時の時刻表によると名古屋⇔万博会場間
では高速バスによるアクセスがメインで、
朝7時台など12本もありました。
(2時間18分・780円)
現代のドリーム号
数年前、四国へ行くとき利用しました。
三菱ふそうガーラ(メガライナー)です。
1階は4列席のエコシート、2階は3列の
スーパーシートと2列のプレミアムシート。
2階スーパーシート2列側はカーテン付
東京→徳島、早割で5400円でした。
サンライズではのびのび座席でも17000円
しかも、バスの方が乗換えなしで早く着く…
これでは鉄道に勝ち目はありません。
北大阪急行 (万国博中央口)
会場と大阪市内を結ぶメインルートでした。
大阪の地下鉄の歴史は昭和8年開業の
御堂筋線 梅田~心斎橋に始まります。
御堂筋線・梅田駅
ドーム形天井とシャンデリアが
レトロな感じで 開業時の面影を残します。
御堂筋線は新幹線開業時に新大阪まで延伸
万博を契機に新大阪~江坂(御堂筋線)と
北大阪急行(阪急、大阪市等の3セク)の
江坂~万国博中央口が開業しました。
鉄道と道路が一体的に整備され、高架橋の
下も道路として有効に利用されています。
なお、新御堂と中国自動車道の交差部から
万国博中央口までの区間は現高速道路の
上り線敷地に建設されたため、万博終了後
廃止・撤去されました。
30系 (西中島南方)
北大阪急行は開業時、御堂筋線と同形式の
電車を100両用意しました。
新御堂の中央を走る御堂筋線
実は別にもう1本鉄道のアクセスがあり、
阪急千里線の北千里~南千里の中間に
万国博西口駅を仮設、また前年暮れには
千里線と地下鉄堺筋線の相互乗り入れを
開始していました。
東海道新幹線
万博を機にダイヤ改正を行い(44年10月)
時間当たり ひかり3本、こだま3本から
ひかり6本、こだま3本が可能に。
また ひかりは16両編成になりました。
12系客車の登場
万博に合せ6両編成50本300両が登場。
臨時列車で使いやすいよう、編成中に
電源装置を持たせ牽引機を選びません。
万博終了後も全国で重宝され、
臨時急行はもちろん、イベント列車や
SL牽引列車にも使われました。
写真は万博には関係なく、常磐線の夜行
臨時十和田で走ったときのものです。
クラウス17号
万博の展示物のひとつ。
リニアモーターカー
日本館の5号館には21世紀の技術として
リニアモーターカーの展示がありました。
東京~大阪を時速500㎞・1時間で結ぶ、
との説明書きがあって・・・
リニア山梨実験線
今まさに現実のものとして姿を現しました。
さて東京~大阪1時間は何年後になるのか…
本日もご乗車ありがとうございました。