さよなら 209系1000番台 | きゅうの鉄道写真館

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きゅうの休憩室から鉄道関係を移設しました。
ドールに興味のない方はこちらで。



こんばんは。


今日は鉄道記念日ですね。
明治5年10月14日
新橋~横浜間に鉄道が開通してから…
あれっ!?
何年だろう??


当時の陸蒸気と比べると
現代の鉄道は別物と言って良いほど。
近い将来には鉄の道(レール)すら
消えてしまいそうな勢いですね。
(リニアエクスプレス)


進歩すれば替わって滅びゆくものが

つきものです。
昨日、常磐緩行線を走っていた
209系1000番台のさよなら運転が
ありました。
イマイチはっきりしない天気でしたが
自転車をこいで撮りに行ってきました。




下りのヘッドマーク (北小金)


この場所は上り列車しか撮れないので
あまり人気がありませんが、
列車本位では割とスッキリ撮れるので
私はたまに撮りにきます。
駅の向う側(南柏寄り)のほうが
視界が開けていてお勧めですが、
どちらもお立ち台が狭いのが難点です。



下りの後追い (11:04)




上り (11:53)
50分かけて取手まで往復してきました。
マークは前後でデザインが異なります。
団体の表示が見えますね。

けっこうなお値段のツアーでしたが
満員御礼だったようです。


2編成しかなかったので
あまりお目にかかりませんでしたが
毎日通勤でうんざりした路線なので
私はもう乗らなくていいや。


豊田電車区へ転属するそうですので
西の方ではお馴染みになることでしょう。





《鉄道車両カウントダウン》
平成の終わりまでを鉄道車両の写真で
カウントダウンしよう、と始めた企画です。
平成終了まであと199日。
ですが、昨日の残り200日から・・・




《あと200日》


D51 200 (梅小路)
今、一番有名な200ですね。
遠く山口へ行ってしまいました。





DF200 (大沼、北広島)
DF200は写真がいっぱいあるので
詳しくは後ほど特集で。





キハ200 3色 (JR九州)
赤:大分 豊肥本線
黄:山川 指宿枕崎線・快速なのはな
青:諫早 大村線




キハ200 (小湊鉄道)
こちらもキハ200です。




《EF200》



EF200 (須磨)


1990年試作機が登場、
1992年から量産が開始されたJR貨物機。
6000kwのハイパワー機でしたが
フルパワーを出すと変電所のヒューズがとぶ
と横槍が入り、パワーを絞って使われた
不遇の機関車です。
悲しいかな、既に定期運用を退き
時々、他の機関車の代走に入る程度らしい。



高槻付近
同時に試作された交直流機のEF500は
結局量産されませんでした。



同じく高槻付近

機関車の次位は現金輸送車です。
2度目の全検でEF210と似た簡略な塗装に
変更されました。


武蔵野線を走る (東川口)
たまに見かけましたが、撮れないうちに
見かけなくなってしまいました。




200日の最後は新幹線200系です。


《200系》


300系と200系の並び (東京)


1982年6月、大宮-盛岡間の開業時から
走り始めました。(上越は5ヶ月後)
1985年上野、1991年東京まで延伸。
東海道新幹線との並びは実現しましたが
直通運転には至りませんでしたね。



200系 + 400系

先頭車どうしの連結を実用化した最初です。
(山陽で0系どうしもありましたが消滅)



高架を走る (仙台-古川)
東北・上越新幹線は高架かトンネルばかりで
撮影の対象になりにくかった。



ひかり前頭 (盛岡)
0系と同様に初期は鼻を光らせていました。





新塗色
やがて車体更新を受け、
E2系にあわせた塗色になります。
3列席のシートは当初固定式でしたが
座席も進化して回るようになりました。







終焉近いころの200系
2013年3月、200系は使命を終えました。





《あと199日》


ラスト200が盛りだくさんだったので
もう終わりかと思ったでしょう。
今日は199日前ですのであと1題。



C58 199 (備中神代)

機関士前方窓の変形機です。



209系1000番台の記事を書きましたが
同じ常磐緩行線、千代田線を走った

東京メトロ 6000系もいよいよ引退との
報道がありました。
(既に定期運用は離脱しています)
残念ながら綾瀬~大手町で地下ばかり。
こちらも旬なうちに書かねばなりません。




本日もご乗車ありがとうございました。