こんにちは。
千代田線の6000系が
終焉を迎えます。
開業直後からつい最近まで
6000系は千代田線の顔でした。
今はすでに定期運用を終え、
土日に綾瀬・霞ヶ関間で
特別運転を実施中です。(11/11まで)
本日はその6000系と、一緒に走った
仲間たちをお届けしましょう。
営団地下鉄(当時)千代田線は
北千住・大手町間から開業しました。
開業時は東西線と同じ5000系で、
車上信号機を設置し、
帯の色を千代田線カラーの緑色に変更、
使用していました。
1971年4月綾瀬まで延伸、
国鉄常磐線と相互乗り入れを始めます。
6000系はその前月(3月)
霞ヶ関延伸のときに登場したそうです。
綾瀬開業初日(綾瀬駅)
めずらしかったのは10両編成の真中
(5両+5両)以外に貫通扉がないこと。
車体断面に近い幅広のホロと、
幅広の渡り板からホロに落ちないように
腰くらいの高さの柵がありました。
発車時、停車時には風が吹きぬけます。
(後に貫通扉つきに改造されました)
ロングシートの袖のパネルも斬新で
扉横に立つ人のお尻が着席の人に当らず
すぐれたデザインでした。
103系1000番台 (綾瀬)
国鉄側の乗入れ車両も新調されました。
従来の103系を元に地下鉄乗入れ用に
防火基準と前後方向の非常口を設置し、
ホーム上への熱風防止のため抵抗器を
強制通風から自然冷却に変更しました。
最大の特徴は5000系、6000系と同様
専用の車上信号機を装備したことです。
(千代田線、常磐緩行線には色灯式の
地上信号機はありません)
5000系 (綾瀬、我孫子)
北千住・大手町開業時から投入されていた
5000系も10両編成に組替えられて
常磐緩行線に乗入れました。
こうして第一期として5000、6000系、
103系1000番台の時代が始まりました。
北千住・綾瀬間の開業により、
常磐線の綾瀬・我孫子間は複々線化が完成、
各駅停車と快速・中長距離が分離されます。
各停は綾瀬からすべて千代田線に直通、
快速・中長距離は北千住から従来どおり上野へ。
一方、我孫子・北千住間の停車駅は松戸のみで
快速線は大幅なスピードアップになりました。
新松戸
松戸電車区
北松戸
103系1000番台の色は白ではありません。
ごく明るい灰色で鉄製の電車ですが
他車の軽合金をイメージしたのかも。
帯はエメラルドグリーン。
少し水色がかった緑で快速の103系と同色。
運転席
一番左が車上信号付きの速度計です。
メーターの周りに制限速度が表示されます。
(写真では90と現示されています)
制限速度が変わるとチーンとゴングが鳴って
となりの表示ランプに移ります。
運転席から(松戸~金町)
初期の6000系は運転席の後ろに窓がなく
前が見えませんが103系は見えました。
対向は後継車の203系です。
並び(松戸)
国鉄車の配置は松戸電車区です。
使用する3線中の真中の折返し線に停車し
信号の開通を待って電車区へ向かいます。
帯の色の違いが判るでしょうか。
登場後まもなくの203系(北小金)
運転席の上にJNRマークが見えます。
松戸~金町
203系は当初から冷房付きで登場しました。
6000系も順次冷房が付き始めます。
当時、地下鉄線内は冷房が使えませんでした。
綾瀬に到着するとクーラーが止まってしまい
窓を開けるように車内放送があったっけ。
その後、駅の冷房が強化されたり、
電車の発熱が減ったりして、トンネル内も
継続して冷房を使用するようになりました。
松戸電車区
203系も全車松戸電車区(車両所)配置です。
6000系 (北小金)
検査のタイミングで冷房化工事をするのか
なかなか冷房化が進まない車両もありました。
夏場に出くわすと運が悪かったです。。。
末期には冷房準備車で登場した6000系もあり
あらかじめ屋根の補強が済んでいたので
簡単にクーラーを載せるだけでOKでした。
地下鉄線から地上に乗入れると
さまざまな出会いがあったのでご覧ください。
武蔵野線の貨物列車(北小金)
武蔵野線から常磐線下りへの合流です。
EF64牽引のタンカー(金町)
金町の常磐快速線上下線の間に退避線があり
退避中の下り列車です。
この後、馬橋から武蔵野線西行きに入ります。
凸と凹の並び(松戸)
ユーモラスな組合せです。
北総線が新柴又から京成につながる前は
鎌ヶ谷で新京成に接続、松戸へ来ていました。
それぞれ6・7番線に入線すると
この組合せが実現しました。
6000系の顔
6000系をクローズアップしてみます。
前面は平面ではなく半径10mの2次曲面です。
ガラスは平面ですから段差のカーブが判ります。
末期登場車は屋根が4.5㎝深くなり、
車内の天井も高くなっています。
緑色の帯はプラ製のパネルを貼っています。
(103系は塗装、203系はステッカー)
Sマーク(サブウェイの頭文字)も厚み有り。
非常扉は下辺が丁つがいで上を前方に倒すと
そのまま階段が現れます。
今見ても古さを感じないデザインですね。
軌道試験車(松戸)
常磐緩行線は特殊な信号を使用しているため
機関車も入線できずこんな列車が出現します。
挟んでいるのは203系です。
103系1000番台が消滅すると6000系、
203系のみの時代がしばらく続きます。
千代田線の反対端は代々木上原まで延伸し、
小田急の高架化と併せ線路がつながりました。
小田急・千代田線の相互乗入も始まります。
営団は6000系に小田急の信号設備を追加、
小田急は乗入用に9000系を導入しました。
9000系(本厚木)
1000系
1000系は9000系の後から登場しましたが
10000にならずに1ケタ落として1000です。
いずれも常磐緩行線には対応していなく、
綾瀬までの限定の運用でした。
同様に国鉄・JR車も代々木上原まで限定です。
小田急・千代田線・常磐線を通しで走れたのは
当時は6000系だけでした。
土砂崩れ事故(南柏~北小金)
地上を走るといろいろなことに遭遇するもの。
通常、地下鉄ではありえない事故にも。
06系 (新松戸~北小金)
6000系の後継として登場したかと思いましたが
1編成のみで打ち止めになりました。
確かに2本同時に見ましたが1本は水色帯で
東西線の07系が常磐を走っていた時期があり
結局移籍されず短い期間で戻されたようです。
207系900番台 (新松戸~北小金)
こちらも1編成だけだったVVVF制御の
試験車両です。
203系末期のころ(金町)
国鉄は分割民営化され、車両も203系になり
やがて233系へと変化していきます。
営団(帝都高速度交通営団)にも民営化の波が
と言うとちょっと変な感じですが・・・
もともと分類上は民鉄でしたが東京都と国鉄が
半分ずつ出し合った特殊法人で
2004年、民営化され東京地下鉄となりました。
南柏~北小金
社名が東京地下鉄(東京メトロ)に変わり
SマークもMマークに貼り替られました。
16000系一次車
最初の5編成です。
前面の非常扉が中央にあります。
6000系も登場から40年にもなると
さすがに古くなり淘汰が始まりました。
後継車になれなかった06系は
6000系よりも先に廃車、消滅しました。
北小金~新松戸
二次車からは非常扉が向かって左にシフト。
四次車(金町)
細いラインが黄緑になり区別できます。
設計変更があるそうですがよく判らない。
車内では吊革が抗菌仕様で水色になりました。
2年ほどあけて再び増備されはじめた結果、
とうとう6000系は全廃になります。
4000系
小田急でも変化があり、1000系に替って
4000系が登場、常磐線にも対応させて
取手まで乗入れるようになりました。
また、その前に地下鉄対応のロマンスカーも
登場し北千住発の特急も誕生しました。
233系2000番台
2009年から走り始めました。
増備を重ね2年ほどで203系は全滅しました。
2016年からは小田急線への乗入れも開始。
209系1000番台
10月13日のさよなら運転で消滅しました。
以上、常磐線・千代田線相互乗入れ開始から
現在まで走った電車たちを見てきました。
今、現役で走っているのは JR233系、
東メ16000系、小田急4000系の3種類です。
《6000系特別運転》
綾瀬・霞ヶ関間、土日限定で1日1往復。
綾 瀬1329 → 1355霞ヶ関
霞ヶ関1416 → 1442綾 瀬
残っているのは第2と第30編成だそうで、
日によってどちらかが走るとのこと。
(乗り降り自由)
11/11まであと8往復。
興味ある方はぜひお別れにご乗車ください。
(自分は通勤で毎日利用したのでもういいや)
北綾瀬車庫ふれあいまつり(昨年)
《鉄道車両カウントダウン》
平成の終わりまでを鉄道車両の写真で
カウントダウンしよう、と始めた企画です。
平成終了まであと193日。
ですが3日前に遡って…
《あと196日》
C57 196 (宮崎)
小学生のとき九州に行った際に父のカメラで。
195は欠番です。
《あと194日》
EF15 194 (北千住~綾瀬:旧線)
一応防護柵の後ろにいますがきわどいな。
(土手の法面に寝そべっている)
旧客の列車は黄害に注意。
《あと193日》
EF15 193 (新大久保)
山手貨物線 ホームで待っていると
1時間に5・6本も貨物が通った。
本日もご乗車ありがとうございました。