都電(廃止前後) | きゅうの鉄道写真館

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きゅうの休憩室から鉄道関係を移設しました。
ドールに興味のない方はこちらで。



こんばんは。


今回から何回か、
都電について書いてみます。


最初は廃止される前、
最後の都電について…
あ、正確には荒川線以外の最後の都電
ということになります。


最初にこちらをご覧ください。



都電全盛期の東京の東半分です。
路線案内図という感じかな。
小さすぎてよく見えないので
トリミングしてみましょう。



本日は白線を引いた路線
24系統・須田町から柳島まで
にご乗車いただきます。
しかし、こうして改めて見ると
縦横無尽に路線があったのですね。


路線系統の一覧表も載せておきます。
案内図の時点で14,18,41系統は廃止済。
別にトロリーバスが3系統ありました。
(押上駅前で交差してますね)


ではミニトリップに出発しましょう。
スタートは秋葉原です。
総武線の高いガードの下には
万世橋電停がありました。



安全地帯から上野広小路方向を見る。


あ、秋葉原は交通博物館の下車駅です。
親に連れられてではなく、
自分で最初に行ったのは小6のときで
多いときは年に4・5回行ったかも。
都電もおなじみの風景でした。




電停から反対方向を見たところ。
低いガードは中央線。
ガードの右側の高架下が交通博物館です。
ここまでは最後の年の夏の撮影です。


万世橋の次は終点の須田町です。
ちょうどカワイモデルの前あたり。
この時点で須田町以南は廃止済。
というか最後に残った路線の1つが
24系統だったのです。


須田町電停から秋葉原方向を見ていますが
電車の方向幕は既に折返しにそなえて
柳島福神橋に換わっています。
右に万世、正面奥にヤマギワの看板が見える。


いつも見たり撮ったりだけでしたが
この日は須田町から乗りました。
上野広小路、上野駅前、雷門の前を通り、
吾妻橋を渡って押上、柳島福神橋。
福神橋の一つ手前が柳島車庫です。
ちょっと見学させてもらいました。



トラバーサーで電車を入換えますが
狭い敷地の有効利用です。
柳島車庫は23系統(福神橋~月島)も
担当していました。




車庫に帰ってきた電車は点検を受け、
洗浄台に移動して洗ってもらい
留置線に移動して次の出番を待ちます。


道路(軌道本線)側から入庫すると
まず多くのポイントで枝分かれし、
車庫の上屋があり通り抜けるとトラバーサー
その奥が留置線で上屋の並びには洗浄台、
という配置になっていました。



上屋の端には乙2号が停まっていました。
乙形は事業用車両ですが
お祭りなどで花電車のベースにもなりました。


あ、荒川線新生記念で花電車が走りましたが
あれは6000形の車体を切り刻んでいましたね。
当時の電車はモノコック構造でなく
台枠でささえる構造だったので
車体を切っても大丈夫だったのですね。




帰りは車庫前から乗ります。
廃止まであと数日、
発車時刻を待ちながら運転士と車掌は
何を話していたのでしょう。






昭和47年11月11日
荒川線を除く都電はすべて廃止されました。


その2週間後、自転車で柳島まで行ってみると
(中学生だった当時、東京東端の下町在住)
系統板を外され解体を待つ廃車の群れがずらり
ひとつの時代が終わった場面でした。









都電廃止記念きっぷとシオリ
次回は荒川線に。




《鉄道車両カウントダウン》
平成の終わりまでを鉄道車両の写真で
カウントダウンしよう、と始めた企画です。
平成終了まであと328日。
ということで本日の車両は…




上毛電鉄 デハ328




本日もご乗車ありがとうございました。