一畑電鉄の旧型車(その4) | きゅうの鉄道写真館

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きゅうの休憩室から鉄道関係を移設しました。
ドールに興味のない方はこちらで。



こんにちは。


今日は成人の日です。
成人年齢が18歳になると、
成人式も18歳になるんでしょうね。
いつまでも親の脛かじってないで
早く自立しなさい、てことなのかな?


さて一畑電鉄のほうは
ゴールに近づきました。


川跡(かわと)は
北松江線と大社線の分岐駅です。

北松江線の上下と大社線の3列車が
同時にそろって接続をとり(乗換え)
それぞれまた発車していく、という
便利なダイヤ設定になっています。




デハ82+クハ182
松江温泉行きが到着しました。


デハ3
大社線折り返しの電車も到着。


出雲市行きの電車も到着し
3本の電車が並びました。
踏切で階段の上り下りもないので
乗換えもらくらくです。



デハ22+クハ102
出雲市行きが出発していきました。


デハ3
大社行きも走り去っていきます。


両線は川跡から少しだけ並行しますが
出雲市方面は左、大社方面は右と
それぞれ大きくカーブして分かれます。
線路に沿って左に行き、
カーブを曲り終えると武志に着きます。
川跡からは0.8㎞しかありません。



武志~大津町 デハ91+クハ191




デハ82+クハ182

大津町からは市街地になります。
あと2㎞ほどで終点の電鉄出雲市です。



電鉄出雲市駅(地平)
現在は高架化され、
JRとは少し位置がずれましたが
地平のころはホームが向い合っていて
駅ビル1階に発着する電車が見えました。


今回は出雲市には寄らず
インターセプトして大社線の途中へ。




遥堪(ようかん)
なんてかわいらしい駅でしょう。
これ以上小さくなれないほどコンパクト。
ホーム長は1両半位しかありません。
ひら仮名で書くとかわいいけど
漢字で書かれると読めませんね。


ホームのへりの白いマークは
電車の停車位置の目標だと思いますが
上り電車(川跡方面)は2両編成だと
後ろが踏切にはみ出しますね。





遥堪~浜山公園北口
デハ71+クハ171
屋敷林の風景が出雲地方らしいです。




遥堪~浜山公園北口 デハ3
古内藤(こないと)川を渡る。
多分、農業用水が集まった末端でしょう。
出雲平野は米どころです。



浜山公園北口~大社前 デハ3
沿線は果樹園やビニールハウスに変わり
終点の大社前は目前です。



高浜川・古内藤川を渡る
終点の大社前直前に鉄橋を渡ります。
写真の左が高浜川、右は古内藤川です。
浜山公園北口付近から寄添いますが
合流することなく仕切られたまま
3㎞も並行して流れています。
人工の農業用水ですので
水利権とか掘った人(組合)の権利とか
そういったことで仕切られたままで
何キロも流れているのだと思いますが
ちょっとおもしろいですね。


あれ?
今、電車が行ったばかりなのに
また踏切が鳴りだしました。
やって来たのは…


トロッコ列車!?



大社前駅 デハ3
鉄橋の踏切からは駅の構内が見えました。
後方の丸屋根は駅舎です。


大社前駅
線路は出雲大社の参道に面する駅舎に
直角に突当たります。
丸屋根の洋風(?)の駅舎は特徴的です。
センザンコウのように見えますが
たとえ(私の感じ方)が変でしょうか?


大社駅
かつて出雲市駅と出雲大社を直結する
国鉄(JR)大社線がありましたが、
残念ながら1990年に廃止されました。
神殿のようで立派な駅舎は
現在も保存されています。



初めて訪れたときは
急行で直通して大社に着いたと思います。
帰りには大社前から電鉄を利用した記憶も。


古い地図が手元に残っていますので
位置関係をご覧ください。
出雲大社~大社前駅~大社駅は
それぞれ800m間隔くらいです。
国鉄のほうがちょっと不利ですね。


著作権とか問題ありそうですが
古地図だしコピー利用できない大きさに
縮小しているのでまあ大丈夫かな?




三角形の2辺をまわる一畑電鉄と
1辺で短絡する国鉄との勝負でしたが
電鉄は川跡の好接続のおかげで20分、
一方、国鉄は13分でした。
しかし駅から出雲大社までは
徒歩12分と25分で勝負は微妙です。


結局、本線からの直通で
そのまま大社まで運ばれてしまう、
というのが多いパターンだったかも。
大社線廃止後は一畑電鉄のバスが
代替しているというのも皮肉ですね。


長々と一畑電鉄を書いてきました。
いつか機会があれば、
次は元京王の5000系に
乗りに行ってみましょうか…



本日もご乗車ありがとうございました。






現役時代の賑わい