新年・初夢は… 富士 | きゅうの鉄道写真館

きゅうの鉄道写真館

きゅうの休憩室から鉄道関係を移設しました。
ドールに興味のない方はこちらで。



あけましておめでとうございます。


平成29年、最初のブログは

お正月にふさわしく富士を取上げてみます。


富士というと寝台特急を思い浮かべますよね。

ブログを見るような人はたいていそうでしょう。

歴史はさらに遡って、最初の特急列車に

名前をつけるところ、昭和4年のことです。

愛称を公募した結果、1番人気の富士と

3番人気の桜が採用されました。



1、2列車・富士は1・2等車ばかりの編成。

3、4列車・桜は3等車の編成です。

もちろん、そんな昔のことは知りませんし

見たこともありませんが・・・

書籍からの受売りですみません。

151系電車特急の富士なんてのもありました。


実際に見た(撮った)富士は

ブルトレ20系最後のころです。




牽引機はEF65500番台でした。

それ以前はEF60500番台ですが、

出力アップした65の登場で置き換わりました。


ブルートレイン牽引用に500番台がありますが

性能的には0番台と変わらず、電源車(カニ)の

遠隔操作装置と連絡用電話が装備されています。


EF66の登場で、そのスタイルの良さからブルトレ

を牽けばかっこいいのにな、と誰もが思いました。

(模型ではいち早く実現可能でしたが)


やがて20系は14系、24系に置き換わり、

牽引機もEF66に替りました。






ちょうどそのころ、ブルトレ・ブームが起き

カメラを持った少年たちが東京駅に集結して

ホーム上での撮影も一部規制されます。

カメラ小僧などと呼ばれました。

自分もそんな一人だったと思いますが…

鉄道少年たちも青年になり色気づくと、

大抵は女性に夢中になり離れていくものですが、

運悪く(運良く?)沼の深みにはまってしまうと

オタクの道へと、まっしぐらに転落していきます。

私も運が良かったか悪かったかは不明ですが

どろ沼にはまったほうで、撮り鉄になり

日本全国を撮りあるきました。

やがて乗り鉄に転向します。


そのきっかけになったのが富士の乗車でした。

撮影先への移動には鉄道もよく利用しましたが、

用もないのに乗りに行ったのはこの時が最初。


では、ご一緒に富士にご乗車ください。


東京から銀河で大阪へ、東海道、山陽の

新幹線・全形式(当時)を乗継ぎ博多へ

九州を一周しての帰り、大分→東京の乗車です。




キップの日付を見ると乗車の11日前、

旅に出る6日前ですが普通に買えました。

寝台列車の利用者減少に

歯止めがかからなくなっていた時期です。



大分駅のホームで入線を待ちます。




入換用のDE10に推されて

24系の基本編成(7両)が入線しました。


続いて本務機EF81400番台が推進する

14系の付属編成(5両)が入線します。







大分から東京まで、分割併合もないのに

なぜ2分割になっていたのか?

おそらく留置線の有効長の都合もあるでしょうし

当時の編成ははやぶさ(鹿児島本線経由)と

共通だったので基本と付属に分かれていました。


14系と24系の併結に違和感を感じる方も多い

と思いますが(車内設備の電圧が異なる)

それぞれ独立した2本の列車を連結した状態に

なっています。 電源供給は24系はカニから、

14系はスハネフから行なっている訳です。

ではさっそく乗り込みましょう。




オロネ25の廊下です。

シングルデラックスを奮発しました。

狭い廊下に14室の扉がずらっと並びます。


昭和50年、あさかぜの個室が廃止され、

国鉄線上から個室寝台は消滅しましたが、

翌51年にオロネ25で復活しました。




室内はこんな感じ。

狭い! というのが第一印象。

ベッドに腰掛け足を伸ばせば壁につかえます。
でも、翌朝まで独占できるというのは贅沢です。

最初の乗り鉄で、荷物を置く前に撮っておく

などという考えもなく、見苦しくてすみません。

上がった写真を見て、

次回からはきれいに記録しようと思いました。


富士のメダマであるロビーも見に行きましょう。




やはり閑散としています。

残念ながらすでに食堂車の連結はなく

個室は空気が少ないので(?)

ここで夕ごはんのお弁当を広げました。


ちょっとB個室も覗いてみます。




オハネ152000番台、ソロです。
白状するとはやぶさに乗ったときの写真ですが

同じのが連結されてましたので・・・


オロネと比べて床の面積は同じですが

天井が低くベッドの上には2階の床が張り出し

空気はさらに少なくなります。
折り畳みの洗面台はテーブルに変わります。


寝台料金はA個室13350円、ソロ6300円

なので(当時)この差ならソロでいいかなー

というのが感想でした。

オロネは14室、オハネは20室というのも

A個室を割高に感じさせますね。


大分を出てしばらくは明るくて景色を楽しみます。

暗くなっても、部屋の灯りを消して

カーテンを開けば外が見えます。
行きは銀河の解放B寝台でしたから

ブラインドの隙間から少し外を見ただけなので

夜景見放題の個室はちょっとうれしかった。


直立不動で通過を見送る助役の姿が見えたり、

通過するホームの駅名票を見て現在地を知ったり

夜汽車の旅の醍醐味を感じました。


このときの体験が、以降、熱心に乗りまくった

乗り鉄へのきっかけになったのです。




広島県内で先行列車の踏切での接触事故があり

東京へは1時間遅れで到着。

熱海で新幹線への振替もありましたが、

私は1時間余分に乗れると喜びました。









富士の車窓から見た富士山。

次回は鉄道模型を使って

富士の編成を検証してみます。



本日もご乗車ありがとうございました。