こんばんは。
今日は大井川鉄道のためのレクイエムを…
レクイエム(鎮魂曲)とは縁起でもない。
しかし昨今の大井川の狂乱ぶりについては
評価の言葉を持ち合わせていません。
まだ保存鉄道的な姿を保っていた頃の写真を
載せて、鎮魂歌といたしましょう。
トンネルを抜け、茶畑の中を行く
蒸機牽引の旧型客車は現役時代の姿を
彷彿させました。
時代を遡った映画やドラマにも
しばしば使われたものです。
そもそも何故、大井川では旧客が走れるのか?
復活運転の認可を受けた当時、まだ国鉄には旧客が
普通に走っていたし、施錠装置のないドアでも
べつに禁止されていなかったから。
一度受けた許可は
途切れない限り継続するのでしょうね。
国鉄の線路上からすべてのSLが姿を消した後、
最初に復活の煙を上げたのが大井川鉄道でした。
国鉄の線路上からは蒸機が消えてしまったので、
映画等で映像が必要なときは、資料映像を使うか
客車のみで撮影して機関車の映像をつなぐより
仕方なかったでしょう。
そんな折、蒸機が旧客を牽く列車が復活したの
ですから重宝したことは言うまでもありません。
鉄道マニアの心に再び火をつけたことも、
また、SLブームよりもあとの世代を
引き込むきっかけにもなりました。
かく言う私も、現役時代の蒸機はほとんど
間に合いませんでしたが、改めて蒸機の
撮影の楽しさを教えられました。
蒸気機関車の魅力は前後非対称の姿と
条件によって刻々と変わる煙の表情にあります。
画面の中にどんぴしゃと納まったとき
うれしさも倍増。
どうだすごいだろう、と友人に自慢したくなります。
大きな動輪と力強いロッドの動き、
一生懸命、力を込めるような排気音。
その動きは人間的だと言われることもあります。
動輪を強調したり、よりスマートに見せる角度、
望遠の圧縮効果で力強さを強調したり、と
工夫の余地はいくらでもありました。
そんな蒸気機関車の復活運転は
集客の起爆剤になりました。
しかし、味をしめた大鉄は機関車を増やし
中古客車を大量に買い込み、
観光バスでやってくる団体客を受け入れ
更なる増収に励んだのでした。
結果、それなりの増収もかない、人手がたりず
整備が間に合わなくなった古い電車はつぶして
新たに中古車を購入する、
という手法で淘汰が進みました。
中には側線の奥で不遇をかこっていた旧車が
博物館に引き取られるという幸運な例もありました。
蒸機列車の増発で、
撮り鉄にとっても楽しみは倍増。
せっせと足を運ぶようになりますが、
おもしろくないのは鉄道会社です。
写真だけ撮ってお金を落とさない、
という考えが広がり、
写真を撮りたければ入場券を買え
とまでいうようになりました。
実は私もその犠牲になったひとりです。
新金谷に着くと数組の親子連れが
ホームで記念写真を撮っています。
我家もさっそくと撮りはじめたところ
年配の女性駅員が飛んできて
目くじらをたてて入場券を買えといいます。
こちらは親子3人往復の乗車券と急行券
1万数千円を買っているのだと見せましたが
そんなのは関係ない、入場券を買わないなら
とっとと出ていけとまで言われました。
これが大井川鉄道との訣別になりました。
あまりにも商業主義に走りすぎた結果
ファンやお客の心を踏みにじってしまった。
それまで年に1・2回のペースではありましたが
行けば必ず1万円以上はお金を使ってきました。
大鉄にしてみれば微々たる収入かもしれませんが
こちらとすれば楽しかった思い出はすべて消えました。
集めた記念切符や絵葉書はすべて捨てました。
(鉄道模型はもったいないので売りました!)
その後2度と乗りに行こうと思ったこともありません。
SLマンに変身させ、
トーマスにしたり客車をオレンジに塗って
お金を落としてくれるお客が集まれば何でも良い、
というのが経営戦略というものなのでしょう。
一趣味人が批評できるものでもありません。
それが気に入らなければ
行かなければ良いだけのことなのですから。
私が大井川鉄道について触れるのは
これが最初で最後です。
鉄道経営というのはそこまでしないと
成り立たないくらい大変なのでしょうね。