千葉県北西部を走る流山鉄道は
3月14日、開業100周年を迎えます。
常磐線馬橋から流山まで5.7km、6駅
所要時間12分ほどのミニ路線です。
100周年を記念してご紹介いたしましょう。
古い写真がけっこうあるので
資料としてもお楽しみいただけるかと思います。
ネガから掘り起こさなければならないので
ちょっと時間がかかりそうですが、
順次発表していきます。
第1回なのでさらっと過去から現在へ
電車の移り変わりをご覧いただきましょう。
タイトルバックの写真は昭和47年の夏
当時、東京の東端の方の下町に住んでいて
大汗かいて自転車をこいで撮りにきました。
流山駅には修理工場と側線があります。
作業員さんに写真を撮りたいと告げると
気をつけてな、と簡単に許可されるくらい
ゆるーい時代でした。
川崎タイプですが、パンタ周辺の切り下げから
前身が偲ばれます。 富士山の方から来ました。
少し時代が下って昭和52年だと思います。
1枚目と同じ1001型です。
流山駅には構内を横断する歩道橋があり
上から電車を眺められます。
次は平和台駅(下の写真)ですが
停車中の電車の右奥遠くにチラッと見えているのは
流山駅の側線です。
駅間わずか0.6kmです。
流鉄のホームページによると昭和53年10月から
大型車(20m級)の導入が始まったそうです。
これは最初の編成で「流星」と愛称がつきました。
平成4年の撮影です。
初代「なの花」が一時期、全身広告電車になっていました。
広告電車はけっこうひどいものがありますが
これはセンスが良く、かわいくて好きでした。
青空です。 冷房が付きました! 平成18年。
現在走っている電車です。
大型車の導入以降は一貫して西武の中古車に
統一しています。
メンテナンスの都合でも具合いいのでしょうね。
新しい電車が入る影には消えていく電車もいます。
新車に押し出されて廃車になる車輌たち。
生き物ではないし、心があるわけではありませんが
慣れ親しんだものが消えていくのは
寂しさを感じます。
先代「なの花」の最終便です。
窓の花束と最終の列車表示が泣かせますね。
本当にさらっとですが、
過去から現在へ追いかけてみました。
たとえ5年、10年でも歴史は戻せませんので
手持ちの写真で遡ってみたいと思います。
とりあえず今日は予告編ということで・・・
本日もご乗車ありがとうございました。