[EF57]
前回の上野駅に続き、
古い写真にお付き合いください。
お小遣いの少ない鉄道少年が
駅のホームから列車にカメラを向けました。
昭和47年(1972年)9月17日ほかの撮影です。
[165系 583系 103・485系 165系 EF62 EF80 EF80 DD51 キハ81系]
ここは西日暮里駅のホームです。
西日暮里は地下鉄千代田線開通時に
山手・京浜東北線との乗換駅としてできた
山手線では一番新しい駅です。
上野駅に出入りする列車の車輌基地は尾久にあり、
上野~尾久間を頻繁に回送列車が往来していて
写真撮りには好都合でした。
東北の玄関、上野駅に発着する列車は皆ここを通ったのです。
[キハ58系 EF58 EF58 EF58*2 EF58 485系 EF57]
現在、西日暮里駅のこの場所に立つと
東北新幹線の線路擁壁が視界を塞ぎます。
往時の姿をを偲ぶことはできません。
機関車の車体にスローガンが書かれた写真がありますが、
まだ組合活動が活発な時代で、
ストや順法闘争など過去の思い出ですね。
このシーンを懐かしく思う人は…年齢が判ってしまいます。
今、ストライキで電車が3日止まるなんて想像もできませんが
労働者すべてが団結して、闘って、成長していた時代です。
ストは労働者仲間だという意識もあり社会も容認していた、
どころか応援していました。
[EF57 EF57]
次の2枚は鶯谷駅のホームから。
これはEF57型ですが、当時一番好きな機関車でした。
デッキ付きの車体が力強くかっこいいなぁ、と思っていました。
フィルムが高価だったので、EF58が来ると撮らなかったり
今思うともったいない。
ほんとデジタルでは考えられないですねぇ。
[EF57 EF58 EF15]
この3枚は日暮里駅です。
町の風景は時の流れとともにどんどん変わっていきますが、
駅のホームから見る風景はそれほど変わらない気がします。
こまかく見れば施設も新しくなりますがどこか雰囲気が残っているもの。
日暮里駅のこの場所は今でも当時を思い出すことができます。
ところで上の3枚目ですが、
隅田川貨物駅から東海道方面へ向かう荷物列車です。
この春、旅客営業が始まり注目を集めた上野・東京ラインですが、
実は昔からあって列車も通っていました。
改めて列車密度の濃い運用に耐えられるように整備しなおしたのが
現在の上野・東京ラインなのですね。
それを可能としたのは
CTCを始めとするコントロールシステムの充実、信頼性のおかげです。
[EF58 EF57 EF12 EF12 EF15*2 ワフ100 EF81 DD13 EF57]
川口駅に移動しました。
川口のホームの南端からはゆるくカーブした東北線がよく見えます。
上の最後の写真の背景は町工場です。
屋根の向こうに煙突のように写っているのがキューポラです。
溶鉱炉の煙突で、鋳物のまち川口を象徴する設備です。
吉永さゆりの古い映画で有名ですね。
まだその面影が残っていた時代です。
[EF58 EF15 EF58 EF57 EF65 EF56 EF13]
蕨駅です。
北側を横切る跨線橋は今でもあります。
グーグルのストリートビューで見たらそのまんまでした。
ただしビルの谷間に埋もれていましたが。
[EF15 EF10 EF13 EF58 EF58 EF13]
再び川口駅に戻りました。
今度はホームの北端です。
後ろの高層マンションは何年か前にはありましたが、今はどうでしょう?
あったとしても、こちらもビルの谷間に沈んでしまったことでしょう。
脱線しますが、めずらしいものが写っているので少々解説を。
後ろの森の中の何本かの支柱、ガスタンクの支柱じゃないかと思います。
昔のガスタンクは円筒形で、中身の量で伸び縮みする構造でした。
写真は量が少なく縮んだ状態。
この町の歴史に詳しくないのでここにガスタンクがあったかどうか
確信はありませんが、どなたかご存知でしたらコメントください。
って、そんな人がこのブログに目をとめるとは思えませんが・・・
ネットなどない時代、貨物列車の時刻など調べようもなく
ただホームで待っているだけでした。
それでも1時間もいれば何本も撮ることができたので
情報が氾濫している現代と比べてもさほど不便も感じませんでしたね。
今の時代、何でもネットで検索できるので便利なようですが、
面白みも感動も薄くなってしまうかもしれません。
旅に出て、思いがけない出会いや発見も少なくなり
情報の確認に行くような旅ではつまらないです。
ああ、こんなこと書いているとまた旅に出たくなります。
次回は自転車をこいで出かけた、利根川の手前、栗橋付近です。
本日もご乗車ありがとうございました。
※見ただけで形式が判る人ばかりではないと思い
今回から形式名だけ入れてみました。
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