悲願へ 18 | 野村孝博のブログ

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 続きです。

 

 「不合理を愛さなければならない」とありました。先述した夫婦喧嘩とか、それ以外でも言い争いみたいなことは確かに不合理なのですがそうしたことも乗り越えていかないといけないのでしょう。不合理という言葉を理不尽と置き換えてもよさそうな気がします。いじめとか絶対ダメなのですが、理不尽ないじめに耐えた人間は強いです。運動部や相撲部屋でも様々問題になっている先輩の理不尽な行為は確かに問題なのですが、すべてなくなってしまうとどうなるのか、人間が弱くなってしまうような気もします。だからといって、それが良いとも言えません。そう考えると、私が業界団体に入ったばかりの時に先輩から浴びせられた嫌がらせまがいの言動も、私自身を鍛えてくれたと言えるのかも。その節はお世話になりました。

 

 そこから「善」について話が移ります。「善」についても良く知らないのですが、著者曰く「善は本来は基本的に現世の全てを否定する『不幸の哲学』のはずなんですよ。」とありました。それを「健康のため」、「成功するため」に善をやりましょうというのはエゴイズムだということでした。まだまだしっくりこなかったのですが、著者のYoutubeを観るようになって、幸福とは自分がなりたがるものではなく、他者を奏してあげたいと思うべき概念だと話していたので、ここで腑に落ちました。私自身、会社の経営するような器ではなく、大変な思いをしておりますから、辞めて毎日読書とビール三昧の生活を送りたいなんて考えることもあります。それが不可能でもないのですが、それをやってはおしまいだなと、自らにブレーキがかかります。また、会社を発展させようとしたり、自らの考えの下、会社を運営しようとして、それが上手く行かないと、どうしても周囲から冷ややかな目線を浴びることになります。それを不幸と捉えると、そうした不幸を乗り越えなければ会社は成長しないし、自らの考えも確立できないということでしょう。まだまだ浅いのかもしれませんが、本書を理解するうえで、著者のYoutubeチャンネルが大変役に立ちました。同じような内容でも、媒体を変えることで、理解できなかったことが理解できるようになるものなのかもしれません。私自身、「やっぱり本だろう」と、本から吸収することにこだわっていましたが、それほど頭がよろしいわけではないので、もっと柔軟に他の媒体にもお世話になりたいと思います。

 

 まだまだ続きます。