悲願へ 17 | 野村孝博のブログ

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 続きです。

 

 「違いを見つけるのが道徳」とありましたが、これをどう解釈するべきか。稲盛和夫氏は考え方を従業員と共有すべきとおっしゃっておられますが、100%一致するなんて言うことはありえなくて、違いがある中でも仕事においては共通した考え方で臨むべきと解釈しましたが、稲盛氏は人生にまで言及しています。著者曰く「教条主義というのは自分と同じじゃなければ駄目だという思想です。教条主義に陥る人間は、実は道徳の名の下に、自分の考えを他人に押し付けようとしているだけだということに気づいてほしいのです。」とありました。また「我々が文明社会をつくるのに、どうしても守らなきゃいけない掟は、本当にモーセの十戒で十分なんだ。十もないと思う。日本でも憲法といっても聖徳太子でも十七条だ。大体そんなものです。(中略)本当に必要なものは十以内なのです。あとは個人個人、別々だと言えます。」とありました。京セラフィロソフィも本当に必要なのは十以内なのか、、、なんて考えてしまいましたが、共感して集まっている塾生の中でも温度差はありますし、そうした違いを理解することが大切だという結論に達しました。また、私個人的には、違ったことに対してぶつかるようなことをしたくない傾向にあり、それは日本人には多いのかなとも思いますが、親や先生とぶつかり合うことなく優秀な子は育たないとありました。平和ボケしていない日本人は、ぶつかり合って成長していたのかもしれません。

 

 講演の中で、理解が追い付かなかった「貧しさに向かう」について、「具体的にはどういうことですか?」というありがたい質問がありました。著者のいう「貧しさ」は「善の思想」に近いとのことでしたが、私は「善の思想」も分かりません。善では水の使い方、一定の水で全ての生活を行うことを教えられるのだそうです。また、「人間にとって価値のある本当のことというのは、実は非効率で不合理で、生産性がなくて、面倒くさいことしかない。それが貧しさから生まれる真の豊かさだと私は思っている。」ともありました。この部分は、理解が及んでいるかは別にして、大変共感できるところでした。便利な世の中ですが、一方で、周囲を便利なツールに取り囲まれてしまうというのは人間形成の上でよろしくないということでしょう。ただ夫婦喧嘩も必要とあり、そういえばほとんどしたことないので、、、いやしたい訳でもないし、でも、議論を深めることは必要かなと思いました。

 

 さらに続きます。