どうやら昨日私は、
軽い熱中症だったようです・・・^^;
身体のダルさと軽い眩暈があって、
経口補水液が、おいしかった!!!
9月ということに油断し、
自転車で遠出したのがまずかったか・・・
今日は午前中、ドゥーラ協会の方々と打ち合わせがあったのですが。
お二人と熱くお話していたら、
熱中症はどこかにふっとんでいってしまいました(笑)
話すは、放すなんだと、改めて。
打ち合わせで感じたことも書きたいところですが、
Originsの続きを先にしたいと思います。
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私は、家庭にいろいろあったことや、
家が土日も営業の商売をしていたこともあって、
家族だけでなく、たくさんの人に関わってもらって、育った。
普段は家に鍵もかけないような田舎ということもあり、
私は小さいころは、しょっちゅう、通称「うしろ」と呼んでいた、
実家の隣の家に遊びに行っていた。
(実家の後ろ側の家なので「うしろ」なのだ)
遊びに行っていた、というよりは、
入り浸っていた、というほうが、近いかも知れない。
その家には、
おじさん、おばさんと、その4人の娘が暮らしており、
犬と、猫もいた。
家業は、専業農家。
私は、おじさん、おばさんを、娘たち同様、
「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼んで、まるで
歳の離れた5番目の娘のようだったと思う。
夕飯をうしろでよばれる(ご馳走になる、茨城の方言かな)ことは
しょっちゅうで、
お風呂に入ったり、買い物について行ったり・・・
敷地が隣接しているくらいの近所なので、
お泊りすることはなかったのだが、
セカンドハウスというか、本当に勝手知ったるなんとやらだった。
うしろ以外にも、
祖母の友達の住む、老夫婦の家にも、
よく遊びに行った。
祖母がいないとき、その家の急須を割ってしまって、
それが祖母にバレないか、ひやひやしたり。
(結局、バレたけど)
近所の中学生くらいのお姉ちゃんが、
いわゆるシッターとして、遊びに来てくれたこともあった。
お姉さんが遊んでくれるのって、やっぱりうれしくて、
「帰っちゃやだ~~」と泣いたことを覚えている。
私は二年保育の幼稚園に通ったので、
三歳神話どころか、四歳まで家にいたんだなあ、と思う。
でも決して、家族だけに育てられたのではなく、
地域のたくさんの人が関わってくれて、私は育った。
それって本当に豊かなことだったんだなあと、今にして思う。
ドゥーラ養成に関わることになったのも、
子どものときに私がしてもらったことの、「恩送り」なのかもしれない。
孤独な子育てをしている女性を支えるドゥーラ。
私はこどもの立場で、地域の人たちから関わってもらった。
対象者や、アプローチは違うけれど、
ドゥーラがやることも、本質的には同じものだと思っている。
こどもが健やかな育ちを多くの人に見守られるように、
母となった女性もまた、沢山の人の手を借りて、母となっていく。
そんな優しい循環が、
当たり前の世の中になりますように。