Cinemanian -7ページ目

深夜の散歩


クリスマスに終電を逃す。最初ほろ酔いにはなったけれど、途中から酔いはにさめて完全なしらふだったので、あーここで帰らなきゃ終電逃すな、という判断はできていたもののかといってこのタイミングで帰るものどうかと思うし話も面白いしなー、というわけで、終電は私たちを渋谷に残したまま行ってしまう。
さてどうしようか、となったとき、過去に渋谷からタクシーで帰ったことのある友人が「6000円だった」との残念な報告をする。2人で割れば1人3000円だけど、本来210円で済んだところに3000円をかけるほどの余裕も勇気もない私たちは、マックで時間を潰すくらいならばむしろ歩き一刻も早く自分の布団で寝る、という方を選択し、渋谷から杉並に向かって歩き出す。さすがに家まで歩くのは無理だろうからせめて環七まで、という中途半端な目標を設定し、真夜中の代々木公園を抜けてひたすら歩く。途中でギブするかと思っていたけれど、そこは女子の強みでペラペラしゃべっているうちにさしたる苦労もなく方南町あたりまで辿り着く。ここからならばタクシーに乗っても良いでしょう、と判断し、ちょうど目の前に止まっていたタクシーに乗り込む。結果、1人1000円で済んだし、最初に言っていた「3時半には自分の布団に」という目標もクリアできたので、妙な達成感があった。

ぐるりのこと。

きのう、『ぐるりのこと。』を見た。雨が土にしみ込んでいくように、じんわりと少しづつ自分の中の深いところにまでしみ込んでいくようなかんじがした。映画を見終わったあと、春の匂いを嗅いだときに感じるのと同じような気持ちになった。エンディングに流れる、Akeboshi(初めて知りました。)の「peruna」という曲は、なんだかとても春の風めいていて、ワタシはすごく好きだ(”気分だけの絶望を拒否する力”というフレーズが印象的)。カナ夫と翔子が並んで寝転がってるシーンの日だまりは、すごく暖かくて気持ち良さそうだった。日本画の絵の具はなんてキレイなんだろう、とうっとりした。自分のことはいろいろ欲しがる欲張りかと思っていたけれど、そうでもないなと思った。














喉、春樹、ぐるり

■おととい朝起きたら、喉が尋常でなく腫れていた。ふだんは気配を消している喉が、急に激しく存在をアピールしてきたので驚いて、このまま声が出なくなったらどうしようかと心配になったほど。
きのうはずっと咳が止まらなかった。でもゴホゴホいうわりに、喉以外はとても元気。
そうして今日起きてみたら、声が場末のスナックのママになっていた。だけど相変わらず喉以外はいたって健康なので、仕事に行き、電話を取る。電話の相手は受話器のむこうのワタシのことを、酸いも甘いも噛み分けた、話したくない過去の一つや二つあるような女だと思ったかもしれない。
ほんと、加湿って大事です。

■春樹祭りが開催されているのです。予約してた本が一気にドドっと。『東京奇譚集』『風の歌を聴け』をするりと読了。『東京奇譚集』は“偶然の旅人”と“ハナレイ・ベイ”は好きだけれど、あとはこの手の話で一番抱いてはいけない感想であるところの「そっかあ。で?」などと思ってしまったので、いまいち乗れず。”偶然の旅人”の最後にある、調律師の偶然の一致に対する見解にはまったくの同意見。
(春樹の神様説もいいけれど。)

■”いったい自分がナンボのもんよ、と腹を括ったところで、趣味・嗜好ってぐるりと反転するのかも”
友達に教えてもらって以来H社長のひみつの日記を読んでいるのだけれど、上の文章のように、ハっとさせられることがよくある。いや、ほんとに、自分はこうゆうものが好きなのだ、と強く思っていたことでも、自分がナンボのもんよ、と思うに至るようなことがあれば、揺るがないと思っていた趣味・嗜好であっても、いとも簡単に反転するものだ。何しろ揺るがないと思っていたので、あまりにも簡単にくるっと反転したことにとまどうのだけど、そこは意外に反転しちゃった自分、というのを楽しむのが正解なんだろう。