小澤征爾氏追想  | 興味の赴くままに

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クラシックのレコード音楽鑑賞と山歩きと野茂投手が好きで歴史の進歩を信じる壮年が、興味の赴くままに綴るブログです。
特に好きなのは、音楽ではモーツァルトの全部、ベートーヴェンとブラームスの交響曲、山では剣岳と鳥海山。
そして、スポーツでは野茂投手です。

世界の耳目を惹き続けて来た我らがマエストロ小澤征爾さんがお亡くなりになりました。


数々の感動をありがとう、ご冥福をお祈りします。

1959年に貨物船に乗り込んでフランスに渡り、マルセイユからスクーターでパリに乗り込んで、あれよあれと言う間にブザンソン指揮者コンクールで優勝・・・という破天荒なデビュー。
そして、カラヤンとバーンスタイン両スター指揮者の薫陶を受け、世界の檜舞台に飛び出して60余年、その魅力的な音楽と人柄は空前絶後でした。

私が初めて彼の演奏を耳にしたのは、社会人1年目の1976年末、当時重宝していたNHKFM放送の海外著名楽団公演録音放送で毎年楽しみにしていたザルツブルク音楽祭公演で、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団を指揮した演奏でした。
訃報に接した翌朝の今朝、その時エアチェックして録っておいたカセットテープの演奏を聴き返しながらこの記事を書いています。
演目は、モーツァルトのリンツ、ペンデレツキの「広島の犠牲に捧げる哀歌」、そしてブラームス1番です。
特にブラームスは、今でも素晴らしい演奏と感じます。

当時は著名指揮者や楽団と言えどもレコード会社の専属関係の縛りがきつかったため、NHKFMで放送されるザルツブルク音楽祭やルツェルン音楽祭の公演録音は、レコードには無い組み合わせの貴重な演奏が聴けるという大きな楽しみがあったのです。

さて、長らくボストン交響楽団音楽監督を務め、ウィーン・フィルやベルリン・フィルからも慕われた小澤さんの演奏ですが、私は、ずっと注目はすれど熱心なファンではありませんでした。


気さくな人柄がなすパフォーマンスが、私には、音楽の本質から目を逸らされそうなものに感じられたのです。

やっと魅かれるようになったのは、申し訳ないことですが、彼が2005年暮れに病に倒れ、それを克服して復帰してからのことです。
滅多に実演を聴けるチャンスが無かった中、僅か2回切符を取得できた2つの公演には心底感動しました。
2008年に横浜で聴いたウィーン国立歌劇場来日100回目記念公演の「フィデリオ」
最後に聴く機会となった2014年のミューザ川崎での水戸室内管弦楽団とのベートーヴェン7番です。

訃報を機に、2014年1月に日本経済新聞朝刊に連載された「私の履歴書」も読み返し、彼のドラマチックな生涯と偉大な事績を偲びました。

昨夜から今朝に掛けて、私がSNSでフォローしている彼が関係した海外の楽団が次々に哀悼記事をアップしてくれているのも嬉しいことです。
真っ先に反応したのはウィーン・フィル。日本で訃報が報じられてニュースが1時間経っていませんでした。続いてベルリン・フィル、ややあってバイエルン放送交響楽団、ウィーン楽友協会、ザルツブルク音楽祭、日付が変わってボストン交響楽団、サンフランシスコ交響楽団。

今にして思えば、私は、本場物信仰・巨匠崇拝思考に囚われて耳を曇らせていた、と反省しています。
惹かれた病魔から復帰後の昇華した晩年の演奏よりも、初めて耳にした1970年代後半から2000年代初頭に掛けての、これらの楽団やサイトウキネンオーケストラとの、颯爽として生気溢れる演奏の方が小澤さんの真骨頂だったのかも知れません。

そんな小澤さんを身近に聴くことが出来たボストンと水戸の皆さんを羨ましく思います。


どうか安らかにお眠り下さい。そして後輩音楽家達の一層の活躍を天国から応援してあげてください。


小澤@WPO2023
(写真は、1年前に参観したウィーンフィル団員ヘーデンボルク和樹さんの個展から)