男もすなる日記というものを女もしてみむとてするなり。
葉月二十日余り五日の日の虎の刻に門出す。
メンバー次の如し。
(ドイ(筆者)
(お初にお目にかかりまする。なおどす。
(肉損
笠をかぶり草鞋を履き兵糧丸を携えて、私達は日本橋を出立した。
これはタイムスリップしてきた江戸っ子が、実家のある福島まで作句しながら歩いて帰るというコンセプト旅である。
当初はスマホやコンビニといった現代の便利ツールを一切使わず、また、人と会話する際は古語を用いることを計画していたが、何がしたいのか分からなくなったため計画を見直し、歩き切ることを第一目標として現代技術はあふれんばかりに利用した。
これから、この旅がどのように進んでいったかを
そこはかとなく書き連ねようと思う。
~1日目~
日本橋→春日部
意気やうやうと日本橋を渡り、東京スカイツリーなるものを横目に見ながら、あけぼのの隅田川を進む。
ケツアクメ 隅田にかかる シブキかな
詠み人知らず
(これ以降作句をする余裕が無く、これが最後の句となる。)
閑散とした雷門を抜け、正午頃に草加へ到着した。
しかしそこは燃えるような暑さであった。
気温は40度近く、道はコンクリートで覆われ日陰も無かった。特に越谷の暑さと南北への長さは異常であり、この時二度と越谷には行かないと誓った。
なぜこの旅を始めたのか、いや、自分がやりたいと思ったからだという問答を数百回繰り返す頃には、12時間が経過していた。
ついに春日部市の快活CLUBに辿り着き、最後の力を振り絞って会員登録を済ませ、近くの温泉に入ってこの日は気絶するように寝た。
なおすけ大興奮
~二日目~
春日部→小山
二日目にして足が限界を迎えた。靴擦れで水膨れだらけになり、正常な歩行が困難となるがそれでも歩くのをやめない。
そしてこの日も気温が40度近くなるという、まさに地獄であった。
ドイとニクソンは公園で休憩中に意識を失う。
心身共にボロボロになりながらもついに利根川まで辿り着いた。
先人達はよく川を歌に詠むが、これまで歩いてきて川によって精神的に救われることが多々あった。
川は市区町村や県の境に用いられており、区切りや今までの道のりを振り返るものとして感慨深くなるからだ。
なおすけがちょっと浮くほど強風が吹く中、利根川橋を越えついに茨城県の古賀へと到着したのだった。
古賀まで来たはいいものの、小山までは歩くのはあまりにも辛かったので、ここで馬車を使わせて頂く。
歩いて3時間かかる道のりを15分で移動できると知り、時間感覚が理解できず頭が困惑したが、やっとの思いで目的地まで辿り着いた。
時間価値を考えると1駅区間あたり2000円ほどが妥当だろうと氣づく。
小山では銭湯でおじいさんと日ユ同祖論を語り合ったり、ニクソンがフルコンボを出したりして結局快活で眠りについた。
(小山のアラブ人の多さは異常であり、すでに侵略されていた。)
~三日目~
小山→日光
この日は朝マックで6時間潰し、馬車で鬼怒川温泉まで行き、旅館にて就寝する。
三日目にして全てが限界に達し、歩くのは不可能となる。二日間で約80kmを歩き、自分の足が変形し歩き方も自然とナンバ歩きに近づいていることが明確に分かった。
な泣きそ泣きそ
(泣いちゃ駄目だ、泣いちゃ駄目だ、泣いちゃ駄目だ)
ここにきて、暑さでなお作の兵糧丸が全腐りしたため、現在兵糧丸たちは鬼怒川の地に眠る。
~四日目~
日光→矢板
旅館の布団の心地良さに勝るものはあるだろうか、いや無い。
身体中の痛みが消え、安らかな心持ちである。
まずは日光東照宮へと向かった。ついに日光街道の終着点に到達したのだ。
しかし、参拝料の高さに愕然としてしまった。それは日光東照宮が観光地化している現状であり、観光目的でなく東京から歩いて参拝しに来た我々にとって払う義理は無い。
普通に払った。
とまれこうまれ、日光から矢板へと向かい、途中で会った人にご飯をご馳走になりながら、矢板の役所の広場でマットを敷き一夜を過ごす。
道沿いにあった巨大仏画
~五日目~
矢板→那須塩原
早朝に矢板を発ち、昼頃に那須塩原へ着く。
那須塩原では念願の旅館に宿泊した。
~江戸っ子小噺~
客間にいと愛らしき猫入るに、江戸っ子猫アレルギーなることを知らず、いみじう可愛がる。江戸っ子たまうらの痒いこといと甚だしく、猫を触りし手で搔く。然るにきんたま桃のごとき腫れ、湯につけれず、きんたまのみ湯上にどんぶらこどんぶらこと浮き、それを見ゆるホモに食べられてしまったとさ。
江戸時代に作られた客間にて眠りにつく。
~六日目~
那須塩原→会津若松
遂にこの旅を終える時が来た。
ここでなおすけと別ち、なおすけは実家のある茨城までヒッチハイクで帰っていった。
残りの2人は白河の関を目指し歩いてゆく。
途中で会ったおじいさんに車で送ってもらい、山道を100キロで走行して、白河の関に一瞬で到着した。
白河の関から実家まで特に用はなかったので、東北本線に乗り、磐越西線に乗り換えついに会津若松に到着したのだった!
おしまい。
徒然なるままに書いてきたが、以上で結びとさせて頂きます。