そのまんまのご自身に
ありがとう〜と笑顔になれる
四柱推命セラピストの岩﨑 伸子ですニコニコ



↑詳細を知りたい方は
 こちらをお読みください。



父は仕事が忙しくて単身赴任先から
夏休み、冬休みと年2回だけ
帰ってきていた。



母には心配させたくなくて
言えなかったので、
年末に帰ってきた父に
話がある、と夕ご飯を食べたあとで
2人きりになった。



夏休みまでは 通えていたのに
大きな教室に入れなくなって
授業を受けていない事。



近頃は電車にも乗れなくなった事。



レポートを出しているゼミは
単位が取れるだろうけど、
授業の方は出席していないから
落としてしまうだろうという事。



父は頷きながら聞いてくれて
「それで、伸子はどうしたい?」と。



話しながら ホッとしていた私は
先の事なんて 
何にも考えてなかったから
「え、どうしよう?」だった。



父は 留年してもう1年通っても
いいぞ〜、
辞めたいなら そうしてもいいし。



と怒ることもなく
私がどうしたいのか、を
気にかけてくれた。



母の手伝いと
「なぜこうなったんだろう?」
「学校行けなくてどうしよう〜」
だけで 頭がいっぱいだったから。



それを言ったら
じゃあ自分が冬休みの間に
考えてごらん、と時間をもらった。



その後 どうしたか、は
次回に書きますね。



おつき合いくださって
ありがとうございました。



いま思うと、、


大学に進学する時にも
母を基準にしていたし
学校に行けなくなった時も
「母」を中心に生活していて。



そうしなさい、なんて
言われた訳でもないのに
自分から母に 身も心も
グルグルと巻きついていたんだなぁ。



あの時 母に話せなかったのは
心配させたくないのもあるけど
「いい子」でいたかったのも
大きかった。



本当に母親を気にしてばかりいて
「自分」がなくて
空っぽだったと思う。



父に「どうしたいの?」と聞かれても 
答えられなくて
ボーゼンとしたもんなぁ、、