そのまんまのご自身に
ありがとう〜と笑顔になれる
四柱推命セラピストの岩﨑 伸子ですニコニコ



↑気になる方は
  こちらをお読みください。



今回は高校生になってから、、と
考えていたけれど、もう1つ
思い出した事があった。



中学2年の時に
友達と廊下を歩いていたら
不良グループと言われていた子達が
1人の子を呼び出して
囲んでトイレに
連れていっている所を目撃。



「こりゃ大変だ!」と思った私は
すぐに先生を呼びに行こうとしたら
友達に止められた。



「ダメだよ! 同級生だけじゃなく
先輩も混じってたから。
先生に言ったと バレたら
目をつけられるよ。」と。



同級生同士なら それでも
呼びに行ったかもしれないけれど。



目上の人は怖いなぁ、、と
先生を呼びに行けなくなって
足が止まった。



その時言われた
「見て見ぬフリをしなきゃ
 いけない時がある」という
友達の言葉。



そうかなぁ⁉︎と
友達に思いながらも
彼女の言うがままに
トイレに1人で連れていかれた
同級生を手助けできなかった私。



自分の中の気持ちはどうあれ、
何にもしなかった、のは同じで。



その後 
同級生がどうされたのかは
知らないけれど。



何日か後に
廊下で歩いている姿を見たとき
すごくホッとした。



あの時の自分の情けなさと
大人になるって大変なんだな〜、
と苦くて あと味が悪くて
ドロドロとした気持ち。



イヤだったなぁ〜。



思った事をそのまま言える
小学生の頃は良かったな〜とも
しみじみ感じた。



そして 大人になっていくと
周りを見ながら動かなきゃ
いけないんだな〜、と
自分にできるのかな?という
不安な気持ちにもなった。



それにしても
メモにもあったこの事が
ナゼかすっぽり抜けていて。



自分の中で思い出したくない
部分だったんだろうなぁ。



ここまでおつき合いくださって
ありがとうございます。




いま思うと、、

母に対して無意識に
感じていたことと
出来事に対する自分の反応が
連動していて
我ながらビックリする。



直接助けたり、
先生を呼びにいけなくても
先輩に相談しにいく、とか
何か動けることができたかも
しれないのに。



昔と同じように 
何もできなくても
そのカッコ悪い自分をそのまま
認められたら
きっと自分の感じ方は全然違う。



そして大人でも
いろんな人がいるから大丈夫。
少しずつ自分なりにやってみて
成長していけばいいんだよ。と
言ってあげたくなるなぁ〜