そのまんまのご自身に
ありがとう〜と笑顔になれる
四柱推命セラピストの岩﨑 伸子ですニコニコ



前回の話は 
↑詳しくお知りになりたい方は
  こちらをお読みください。



出産の様子を
教えてもらった当初は 
衝撃を受けたものの。



それを自分の中で
ずっと引きずっているなんて
これっぽっちも思わずに
日常を過ごしていた。



小学校高学年の時や中学生の頃は
自分のなかには
そんなにコレだ、という
思い出が残っていなくて。



覚えているのは
お祭りで夕方から出かけたい。
と話しても、
「絶対にダメ!」と反対されて
行けなかったことぐらい。



あ、それともう1つ。



母はどんな時も
キッパリとした口調で。



そんな母が怖いから、と
全て言いなりになっていた。



母がいい、というならOK
ダメ、と言われれば
その言葉通りにするのが
当たり前だった。



当然すぎて母の言いなりに
なっていることすら
意識していなかったほど。



そんな私がどういう高校生活を
送ったのか、はまた次回に。



お読みくださって
ありがとうございます。



いま思うと、、


当時は
ビックリしておしまい、に
なったとばかり思っていた
自分の出産のことを
ずーーっと引きずっていた。



母をシアワセにしたくて
産まれてきたはずなのに、
その反対に苦しめてしまった、と。



その「哀しさ」がツラくって
「母が怖い」と
すり替えてしまったんだな、、。



そして言いなりになる事で
これ以上
彼女に嫌われないように
迷惑をかけないように、と
ふるまっていた。



そんな自分には
思いこんでいるだけの
勘違いだよ、と。



そこから目を覚ましたら、
お母さんは「シアワセ」だし
大丈夫、と分かるよ〜と言って
背中をなでてあげたくなるなあ。