問題は、「200字論述新研究11(問題5・6)」で確認してください。

解説は、「200字論述新研究14(問題6を考える➊)」をご覧ください。

 

問題6 解説

 

「いざ鎌倉」とはどういうことか

 

この機会に、このようにしてできあがった、鎌倉時代における武士社会の特質にも、いくつかふれておくことにしたい。

 

まず、「いざ鎌倉」という有名なスローガンについて考えておこう。

 

東国政権として成立した鎌倉幕府は、平氏との戦い(治承・寿永の乱)や承久の乱を通じて、おもに西国の所領(御恩)を獲得していった。

御恩は一族内で分割相続されるが、それは、個々の武士たちにとって西国などで地頭(現地で荘園を管理する荘官の一種)を務めることとほぼ同義だった(彼らのことを西遷御家人(せいせんごけにん)という)。

鎌倉時代の武士は、一族結合を前提にしながら全国に散っていったのである。

 

室町時代以降も、南北朝の動乱や戦国時代といった言葉からわかるように、多くの戦闘行為がくりかえされた。

にもかかわらず、武士が地縁的に結合するようになると、軍事動員を意識的にうながすような標語は登場しなくなっていく。

 

逆に考えれば、「いざ鎌倉」とは、一族結合(血縁的結合)である惣領制のもとでの軍事動員には大変な時間がかかったということを象徴的に示すスローガンだったことがわかるだろう。

 

なぜ合議が重んじられたか

 

次に、いわば軍事指揮官に相当する御家人たち(一族の長たる惣領)が、政治的な決定(執権政治に代表される幕政)の場で、なぜ「合議制」を執拗に重んじたのかという点について解説しておく。

 

武士社会において、以後も不変の原則でありつづけた合議制とは、全員の意思一致のことをさしている。

武士は御恩獲得のために戦う(奉公する)のであり、この御恩はいうまでもなく相手から奪取されるべきものだった。

ということは、武士にとっての戦いとは、結果としての勝利がともなわなければ、ほとんど意味をもたないことになるだろう。

 

合議制、すなわち全員の意思一致とは、従来から日本の支配層で重んじられてきた原則的な伝統でもあるが、とりわけ指揮官クラスの武士たちにとっては、至上命令である勝利を確実なものにするのに欠かせない条件を担保するものだった。

 

惣領の決断のもつ絶対性

 

くりかえしになるが、鎌倉幕府は、一族結合である惣領制を基礎に、御恩と奉公の関係に支えられた御家人制を機能させていたが、これらの原型はいずれも、古代後半以来の長い戦いの過程で形成されたものである。

つまり、鎌倉幕府のシステムは、戦時の戦闘組織をそのまま平時化したに過ぎなかった。

 

したがって、御家人たちは合議制を重んじる一方で、御家人たる惣領(一族を統率する総責任者)の一族内部における決断は、常に絶対的だった。

戦時において軍事指揮官を務めることになる惣領の決断は、どんなに愚かしい内容であっても、またいかに戦争とは無縁の場面にあっても、守り抜かれなければならないものだった。

 

鎌倉時代には、御家人相互の関係においては一種の対等性・平等性が重んじられ、一族内においては惣領が絶対性を保持していたことを、御家人制と惣領制のまとめも参照しながら、あらためて把握しておいてほしい。

 

御家人制と惣領制のまとめ

 

 

問題6 解答

御家人制は将軍・御家人間の主従関係によって成り立ち、それは御恩と奉公という観念に支えられた。一方、惣領制とは血縁に基づいて一族が団結する武士の家の結合形態をいい、一族の長たる惣領により統括され、一族内で所領を等しく分配する分割相続を原則として一族の団結が維持された。両者は惣領制を土台にして御家人制が機能するという関係にあり、幕府は一族の長たる惣領を御家人に組織することで武士社会全体の統御を試みた。

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