15-1 後三条天皇の登場と延久の荘園整理令

 

藤原頼通(よりみち)の娘には皇子が生まれなかったため、1068年に藤原氏の娘を生母としない後三条天皇(ごさんじょうてんのう)が即位した。

中央政界で長く続いた摂関政治も、ついに終わりを迎えることになる。

 

後三条天皇は、摂関家の意向を気にすることなく、意欲的な姿勢で国政の改革にとりくんでいった。

その代表的な政策が、延久の荘園整理令(えんきゅうのしょうえんせいりれい)(1069)である。

 

 延久の荘園整理令の内容

後三条天皇は、新しい荘園や証拠書類に不備がある荘園などの整理を命じた。

さらに、荘園の証拠書類(券契(けんけい))を厳密に審査するため、記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)(記録所)を新設した。

 

 延久の荘園整理令の効果

摂関家に寄進された荘園も例外ではなく、荘園の整理にかなりの効果をあげたと考えられる。

 

 枡の公定

後三条天皇は荘園整理令を出すとともに、枡(ます)の大きさを一定にした(宣旨枡(せんじます))。

これは枡の基準として太閤検地(たいこうけんち)まで用いられた。