海岸といえば、白い砂浜に波が静かに打ち寄せる。
そんな姿をありありと思い出す人は多いだろう。

 

 

 特に夏は、多くの海水浴を楽しもうと集まる人たちも多い。

 

 いつから始まったのかは定かではないが、ステージを設けて音楽フェスが催されるのが古来から続く祭り行事のようになっている。

 

 

 長年の気候変動によって海面が上昇し続けたことにより、かつての都心はまるでダムの底に沈んだ街のようになっていて、小型クルーズ船でそういう遺産を見て回るという観光ツアーもおなじみだ。

 

 

 海面の上昇は自然現象によるものなので、たとえそれが望まない事だとしても、地元住民はもちろん、人類には何一つ出来ることは無かった。

 

 

 出来ることと言えば現状の環境を楽しむくらいで、それはいつの時代もどんな人たちだとしてもきっと同じだろう。

 

 

 伝書に描かれるモーゼであればあるいは、今なお陸地へ浸食を進めるこの大海を真っ二つにするくらいは軽くやってのけるかもしれない。

 

 

 

 ひさしぶりに気分がいいので、おそらくあの公園と同じ場所、おじいさんたちが眠るこの高台から海を眺めることにしたのだ。

 

 

 一般人なら、少し生活の場所や街の場所が変わるくらいで、職場があるのであれば各々その生活スタイルを崩さないように日々を過ごしているわけだが、今の政府は何かしらの危機を悟っているらしい。

 

 

 よほどの事だろう。

 

 

 まあなんにせよ、毎日危機を語られてもこちら側は今を穏やかに生活できればそれでいいのであって、むしろそれを害されるのははなはだ迷惑である。

 

 

 ただ、突然にその穏やかな生活の終焉を告げられても困るわね。

 

 

 幸い、我々にはその辺の樹木と違い、四肢と頭脳がついているから、状況によっては住む場所や国を改める選択肢がある。

 

 

 大陸に伝わる遊牧民族のように、臨機応変に住まう場所を転々としつつ、いろんな景色やその土地の物を楽しむのも悪くない。

 

 

 だけど楽じゃないだろうなあ。

 

 いっそあきらめてしまうという選択肢もあるが、それはそれでなんだかしゃくである。

 

 

 

 少し前まで友人だと思っていた国が突然裏切りに転じた出来事が起こり、わたしたちはやむなく戦争に巻き込まれた。

 

 

 亡くなった人たちの多くは、今わたしの背後に広がる高台に眠っている。

 

 

 かつてはここは公園で、マンションもあったはずだ。

 

 

 辺りにはファミレスなんかなく、少し歩かないとコンビニも見当たらないくらいに何もなかった住宅街だった。

 

 

 それが今は、多くの人々が静かに眠る場所となった。

 

 

 

 長く地味に続いた戦争だったが、幸いこの国は海に囲まれているということもあって、上陸作戦を延々と続けるのは無理があったらしい。

 

 

 この大きな海にわたしたちは助けられたのだから感謝だろう。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年4月5日にnote.comに掲載したものを加筆修正したものです。

 

 

「なるほど、今回は過去だったと。」

 

 

 ええ。懐かしいというには昔過ぎて、むしろ新鮮でしたよ。

 

 

「そうでしたか。
他に出会った人や、おかしいなと思った点はありませんでしたか?」

 

 

 いいえ、特にありませんでしたね。

 

 

「わかりました。
今回はお薬を減らしておきましょう。
これ以上は負担が大きすぎますからね。」

 

 

 そう言うと、後ろに控えていた看護師さんと何かを相談し始めた。

 

 

「はい、じゃあ本日はこれでおしまいです。」

 

 

 いつもの心電図のようなものはやらなくていいのだろうか。

 

 

「前回からまだそんなに経っていませんからね。
また次回にやりましょうか。」

 

 

 そう言いながら先生が、わたしの背後へ軽く目線を向けた。

 

 

 

「じゃあ帰りましょう。
少し天気が怪しいのでタクシーを呼んでもらいました。」

 

 

 あら、それはありがたい。
そう言えば、傘なんて持って来ていなかった。

 

 

 ありがとうございました。

 

 

 そう言って診察室を後にしようとすると先生が続ける。

 

 

「本当に良い息子さんをお持ちで。」

 

 

 

 ああそうか。

 

 

 亡き咲那さんの忘れ形見。

 

 

 改めて見るとまあ、すっかり立派な青年になったなあ。

 

 

 

 ごめんね、心配かけちゃって。

 

 

 あははと笑って「仕方ないですよ」と言ってくれる。

 

 

 

「我々が生き延びるにはもう、自分たちのルーツにすがるしかなくなってしまいましたから。」

 

 

 あなたはどう?

 

 

「うーん。
 

 

――僕にはまだわからない気がします。それはそうと、」

 

 

 なあに?

 

 

「良かった。本当にお年寄りみたいでしたから。」

 

 

 そう?

 

 

「そうですよ。」

 

 

 そっか。

 

 

 

 今日は寄ってく?

 

 

「いえ、今日は大丈夫でしょう?」

 

 

 ありがとう。

 

 

 

 今、このカオスな状況は自然に生まれたわけではなかった。

 

 

 その昔、おじいさんが生きていた頃より昔の大戦が終わってから、それぞれの国がそれぞれに文明と文化を楽しんでいて、それでいて気にしていなければ気づかないおかしな方向に進んでしまう。

 

 

 さて、生きるためには食べ物が必要なのだが、これらは農作や狩猟を行い確保するのはおそらく誰もが理解できているはずだ。

 

 

 そう。気が付けばそれを人間に対して行う輩が世界を支配していた。

 

 

 理解できるだろうか。

 

 

 これが大きな問題だった。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年3月30日にnote.comに掲載したものです。

 

「前回はええと、世界が滅びた後の世界でしたか。」

 

 

 そういえばそんな話をした気がする。今よりすべてが水で満たされているうえに、プラスチックの粉塵で覆われた世界だ。

 

 

 安全な屋内でもなければまともに呼吸することすら許されない。

 

 

 あれは壮絶な環境だったが、よりにもよってああいう心臓がきゅっとするような展開になるとは思いもしていなかった。

 

 

 あれはこれからああなるという確証では無いが、そうなる可能性は常にあり続けることだけは確かで、絶対にならないという保証などどこにもない。

 

 

 防衛本能としての臆病さは決して悪いことではないはずだ。

 

 

 自分のためだけではない。
問題は、懸念や苦痛をちゃんと言えるかどうかである。

 

 

 それがきっかけで変わる未来もきっとあるだろう。

 

 

 

 死んだらその後は?
そうじゃないと都合が悪いくらいに何かをやらかしたか?

 

 

 話さなくていい。
所詮、それぞれにとってのみそぎの人生なんだから。

 

 

 春には毎日種を蒔いて、夏には強い日差しの暑さの中水をやり草を取る。
秋には収穫してという毎日を平坦でつまらないという人間もいるだろう。

 

 

 どうかしたなら、せっかく蒔いた畑を踏み荒らす輩もいるだろう。

 

 

 踏み荒らす人間の罪は思いのほか重く、それでは誰も収穫を得られないばかりか食べていくことにすら事欠くのだから。

 

 

 だったら生きている人間の数を減らせばいいじゃないか、という極端な勢力の言葉はやたらと格好よく聞こえるらしく、のちの大きな戦争を避けることは出来なかったという。

 

 

 戦争は良くない。確かに、強い武器も良くない。

 

 

 その論調は本当に、同じ民族の同胞から出た言葉なのかわからないままに守りを十分に固められなかった、つまり騙されたこの国はあっけなかった。

 

 

 二度と種を蒔くことすらできなくなったからだ。

 

 

 

 残念ながら、そう気づいた時には遅かった。

 

 

 目先の利益と、平等さへの執着と、同調圧力に負けた。

 

 

 あれはそんな世界の果てだった。

 

 

 

 それだけだ。

 

 

 

 という話を丁寧に聞いてくれるのがこの先生なのだが、なにかを解決するためではなく、ただただ聞いてくれるだけである。

 

 

 でもそれが妙に心地いい。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年3月22日にnote.comに掲載したものです。

 

 自分で服のデザインをして販売する――。

そんな夢を一度は見た方も多いのではないでしょうか。

 

 ただそれを現実でやろうとすると、フリマアプリを駆使したとしても資材の調達から何から大変ですよね。

 

 これを3Dのメタバースでやろうというわけです。

ともかく、まずは見ていただいた方が早いですね。

 

Holoearth ©COVER

©cover

Holoearth ©COVER

 

 どうでしょう?やってみて驚いたんですが、雰囲気が出るもんです。

直感的に操作できるよう設計されていて意外と簡単!

 

 在庫は今のところこんな感じ。

 

 

 

 

 これらをホロライブファンでユーザーの方に購入してもらおうというわけです。

 

 1ホロコイン=2円相当なので、1点につき300円くらい。

 

 

 

 商品作成時の編集も簡単です。

 

 

Holoearth ©COVER

 

Holoearth ©COVER

 

 服のデザインはちょっとわからないという方も大丈夫です。

チャットで使うためのスタンプも作成して販売することができます。

 

 

Holoearth ©COVER

 

 あなたもさっそく自分のお店を開いてみては!?

 

🔽関連情報

 Holoearth:holoearth.com

 X: x.com/@Holoearth_JP

 

 

Holoearth ©COVER

 

 

 この後は彼に任せてだいじょうぶだ。

 

 まさか、この二人が後に出会い直して子供まで産まれるとはね。

 

 

 

 こんな感覚は西洋宗教ならまず許さないだろう。
輪廻転生に関わる話を彼らはとにかく嫌うはず。

 

 

 自分たちと同じ見た目をしていない者は、家畜とみなしているのではないかと思えるような彼らがやってきた残虐な行いは、生まれ変わってその立場になるかもしれないという可能性を、宗教が否定してくれているからだ。

 

 

 都合の悪さは守りの堅さに比例する。

 

 

 確かにこの話の真実は人生を一旦終えないとわからないが、残念ながらこの世はそんなに甘くはない。

 

 

 今の人生が苦しければ、次の人生も苦しくなる可能性が高くなり、同じ人生でも楽しいと思えるのであれば、次の人生も楽しくなる可能性は十分にあるだろう。

 

 

 共通して重要なのは、後になって気づいても遅いということだ。

 

 

 

 普通に生きていれば時間の進みに従って、秋には紅葉が楽しめるようにその移ろいを実感することが出来る。

 

 

 子供がいればその成長の早さを実感できるだろう。

 

 

 生まれて歩いて、やっと言葉を覚えて勉強を始めたかと思えば、あっという間に受験を迎えて、早ければそのまま一人暮らしを始める。

 

 

 小さいうちからもう少し一緒に思い出を作っておけばよかったと思っても、もうどうにもならないと思い知ることもあるだろう。

 

 

 

 何事においても大雑把でもいいから他者からの話から学ぶなどして、ある程度の可能性を把握しておくことは何事においても重要だろう。少なくとも無いよりはしておいた方が良いに決まっている。

 

 

 なぜかはすでに話した通り、後になって気づいても遅いからだ。

 

 

 

 そんなことを延々と頭の中で巡らせていると、わたしも随分年を取ったんだなと実感する。

 

 

 年を取らないとわからないことが多いのも残酷だなあと思えてならない。

 

 

 もし、同じような環境でまた次の人生を始めるのであれば、少しは魂にこれまで得た知識のほんのわずかでもいいから残しておきたいものだ。

 

 

 

 うっすらとまぶたを開ける。

 

 

「おや、お目覚めですか。」

 

 

 眠ってしまっていたらしい。

 

 

「少し順番を遅らせてもらいましたよ。」

 

 

 それは申し訳ない。起こしてくれてよかったのに。

 

 

「起きないでしょ?」

 

 

 そんなことは、ないとは言えない。

 

 

 

 もう少し時間がかかるようなので、もう一杯お茶をもらうことにした。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年3月17日にnote.comに掲載したものです。