個人的に好きではないが、インターネットの可能性にいち早く目をつけ、今では星の数ほどあるWebサイトならぬホームページの作成を請け負うことでひと財産築いた人物がいる。
いろいろあって目をつけられた結果、ある日突然クリーンなイメージと真反対の世界に送られてしまったわけだ。
その世界は、インフルエンサーといえども"昔こういうことがあった人だよね"というイメージが常に付きまとう世界をここでは敢えて指すことにする。
人間は、やってもらった事や、教えてもらった事しか出来ないはずだ。
どうしてこの先輩はこうもよく飲みにつれていってくれたり、良くしてくれるのだろうかと、ある日現金を包んだポチ袋をお返しにと渡そうとすると「そう言う事じゃない。」と軽く怒られたことがある。
いつかできる後輩に同じことをしてあげてくれ、そう言われたことで自分がいかに未熟で浅はかだということと、かつて同じことを先輩も経験したのだろうなと背景と経験を得るわけだ。
あれから十数年経ち、日に日に寒さが増すこの時期に電車に揺られたりなどすると思い出す。
恥ずかしくなってつい独り言を言ってしまってなかったかと、ふと我に返って辺りの客車内の様子を窺ったりなんてしてみる。
そしていろんな意味でホッとするわけだ。
後輩がまともにできる間もなく転職することになり、あの約束は果たせなくなってしまって申し訳なかったなと思っていたらば、意外とその時のつながりは切れることなく、たまに声がかかればもう関係なくともお代を出したりする機会をもらっている。
それで勘弁してほしい。
あとは、どのようにしたら会社に縛られずに生きていくことができるのかと間違いなく尋ねられるのだが、こちらの話が本命だろう。
ただただやれることをやり続ければいいと、向き不向きはあるから何かこれだと見つけたらただそれだけをやり続けるほかないよと言うしかない。
納得はしてくれないが、わたしにとっては本当にそうだからだ。
近道なんて無いが、あの先輩の意図のように何事に対しても背景を汲み取ることができるようになれば、せめて遠回りはせずとも済むだろう。
決めつけるのではなくて、仮説を立てる。
誰だって美味しい話を好き好んでするわけがない。
むしろ、そういう話を公にしない事がカギでもあるからだ。
さて、一般に投資とはペーパーアセットや不動産のようなものを思い浮かべるが、ベンチャー企業や事業や企画などもそうである。
結果的に資産を大きくする計画ならば投資と言えるからだ。
因数分解すると、投資とは計画そのものである。
いずれにしても所詮は人間のやる事だから失敗はつきもので、出資をして欲しい側に立てば、出来ればネガティブな、あるいはリスクに関して話に出したくはない。
それは中古品をオークションで売る気持ちに似ている。
ちょっとあの部分が外れかけてるんだけど、まだしばらくは使えるから問題ないよなあなんて、長年の持ち主にしかわからないことはなるだけなら言いたくないだろう。
それで買取価格に大きく差が出てしまうし、言ってしまったばっかりに今はまだまともに使えはするのに半値になってしまうなんてよくある話だ。
しかし、ここで正直に伝えるかどうかでリピーターとなってくれるかが決まってしまう。
優しい人なら、もう二度と目の前に現れなくなるだろう。
どうして優しい人なら二度と目の前に現れなくなるのか、背景をあなたなりに考えてみて欲しい。
答えは敢えて言わない。
というかもうすでに話をしてある。
冒頭の成功者だが、事業計画のプレゼンを受ける企画で、出資はして欲しいがその事業計画の詳細は話せないという人物に対し、こういう人間が一番嫌いだと告げた。
プレゼンなのに話せないという矛盾もあるが、素晴らしい事業計画ならむしろこの大勢の眼がある中で堂々と披露し、賞賛を浴びたならもう宣伝なんかしなくていい。
それが嫌いだと告げて続けた言葉が「むしろここで話した方が良い。」という一言だった。
おわかりいただけただろうか。
出資を受けたい彼は、せっかく自分が思いついたアイディアを自分より経験も人脈もお金もある人物に取られたくないし、誰にも真似をされたくないという切実な思いだったのかもしれない。
それはつまり逆を言えば、誰でも簡単にできる事業だということだ。
果たしてそんなものに出資をする価値があるのか話を聞くまでもない。
あるかもしれないが、ただただ信用して金だけ出せという半ば強盗のようなやり方にしか見えていない事に気づいていないのが問題だ。
ゆえに、これは出資も信頼関係も成立しない。
するわけがない。
さて、前回は媚人の話をしたが、気が向けば調べるという話だった。
特に中抜きがいよいよ問題視され始めた現代社会的にその存在が深刻なタイプだと仮説を立てていたからだ。
数回前に、不動産で財産と工務店との絆を成し、今ではすっかり自分で不動産を買うのを辞め、数十万の月会費を差し出してでも教えてくれと募る人達の面倒をみるという事業に切り替えた人の話をしたはずだ。
立派なビジネスだ。わたしなんか足元にも及ばない。
さて、真似をするにしても二十年はかかるこの事業は、出資を募るためにプレゼンをしたあの彼のように公に話をしたところでびくともしない。
むしろどうかぜひとも、わたしもお願いしたいと藁にも縋る思いの人も頼ってくるだろう。
何が言いたいか、背景はおわかりいただけるだろうか。
ビジネスをビジネスなんて言う一言でブログや有料記事なんかにする人間は信用できるわけがないという話だ。
そのビジネスとやらを具体的に話してみなさいな。
むしろ話した方が良いのでは?
だから、最初から詐欺師だのバカだの言われるんだよね。
一般人にとって害でしかないからだ。
他者の著作物、漫画を一コマ教訓として記事にしている自称哲学者も他人事と笑っている場合じゃない。
そんな人間は今までもいた。
引用だから問題ないと?
ちょうどいい、哲学者だろう?
こんな背景くらい簡単だろうから読んでもらおうかな。
ちなみに数日後消えていて、気づけば美術館が見れるようになっていたから、まあ再現性上、間違いのない話だ。
陽がすっかり短くなり、早くも冬至が近くなってきた。
わたしは庶民でバカだから、いつだって裸の王様を傍から見ている。
昼間のやわらかな日差しの中のコーヒーはこの時期にはたまらない。
※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。
※この作品は2025年11月18日にnote.comに掲載したものです。




