ポツダム宣言の受諾から敗戦した現実が国民に伝わると、それを受け止めきれない者や、とうとう日本も戦勝国の植民地になったと先を憂いて自ら命を絶つ者もいたという。

 

 

 武装解除は苦労すると見込んでいた連合国だったが、例を見ないほど速やかに進む武装解除に違和感を感じる。

 

 

 それがなぜなのか理解できなかった連合軍だったが、ポツダム宣言の条文を履行するために日本という国の分析を行うなかで、天皇に対する日本国民の異常なまでに高い忠誠心によるものだと気づいた。

 

 

 日本占領連合軍最高司令官のマッカーサーは、昭和天皇がオフィスを訪ねて来た際、命乞いに来たかと軽蔑するつもりでいたが、実際に会って話せばその真逆で、自分の身はいいから国民だけは助けてくれと訴える姿に感銘を受けたという。

 

 

 しかし天皇の名で始めた戦争だ。仮にその心で本意ではなかったとしても公の意思として最後まで突き進めたのだから、その責任は免れない。

 

 

 のちの極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)では、日本軍の最高司令官であった天皇を主犯として罰するべきという主張を持った判事もいたようだが、結局そういう運びにはならなかった。

 

 

 例えば、速やかに武装解除を終えることができたのは、天皇に対する国民の忠誠心があってこそだった。

 

 

 つまり、これを永遠に排除してしまった場合、なおも忠誠心の高い日本人をいったい誰が統率できるのかという問題から、内外に対して行われた残虐な行為はあくまで天皇の意思や指示ではなく、時の閣僚と軍の思惑の範囲において実行されたという事実が必要だったのである。

 

 

 それを裏付ける証言を軍事裁判でなんとか引き出すつもりの連合国だったが、陛下のご意思に反するなどあり得ない、その堂々たる主張に矛盾と思惑が垣間見えるのだった。

 

 

 

※このコラムは2024年10月20日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 かつて、天皇陛下のご意思は絶対だった。

 

 

 天皇の御名において始まった戦争は、ヨーロッパ諸国によるアジアの植民地をことごとく覆していく。

 

 

 日本軍の行くところ次々と日の丸を立て、本土ではテレビもない時代だから、まるで日本代表選手が次々と試合に勝ち抜いていく姿を観戦しているように、娯楽さながら盛り上がっていたようだ。

 

 

 各紙、わが皇軍勇ましくと称える。

 

 

 子供も意味などわからないながらも軍歌を歌い、大きくなったら兵隊さんになるんだと揃って言うくらいにはすっかり染まっていた。

 

 

 前線で何が行われているのかなど知るはずがない。

 

 

 

 植民地を拡大する日本の勢いに危機を感じる連合国は、ほとんどの資源を外国に依存する日本に対して経済制裁を行う。

 

 

 当時、日本は石油の大半を米国に依存していた。

 

 

 少しずつ、だが確実に、燃料はおろか戦艦や弾薬、兵糧に至るまで本土から海を越えてはるか彼方の前線を維持するのもままならなくなっていく。

 

 

 米国は孤立主義を原則として動かなかったが、日本軍による真珠湾への奇襲攻撃に激怒、とうとう虎の尾を踏んだのだ。

 

 

 

 金属が足りなくなったことで各家庭から鍋や時計を集め、資源の確保に奔走するも、とても間に合わない。

 

 

 物資はおろか食料まで満足に手に入らなくなって、国民は配給制で飢えをしのぐ生活になる。

 

 

 もうお金など役に立たない。

 

 

 上等な着物など物々交換してなんとか食料を調達できるくらいだ。

 

 

 

 国際法では非戦闘員への攻撃を禁じているが、それでもあらゆる都市が空襲を受け、焼け野原となったのは、国民が軍に対して怒れば戦争の継続と拡大は止むだろうと目論んでの事だろう。

 

 

 しかし、繰り返すが天皇陛下のご意思は絶対である。

 

 

 贅沢は敵、欲しがりません勝つまではの合言葉で、広島と長崎に原子爆弾が落とされても、国民が政府に怒りを向けることは(でき)なかった。

 

 

 

 息子を戦争に取られ、戦線で死ぬのを誉とする社会の空気、生きて帰ってこようものなら嫉妬と批判にさらされるくらいに異常性は極まる。

 

 

 民衆とは斯くも恐ろしいものだ。

 

 

 

 海軍はことごとく艦船を失い、もはや本土と各地の前線を繋ぐことさえできない。

 

 

 負ければ陛下がすべての責任を取って、遥か古代から続く天皇の系譜が絶たれてしまう。

 

 

 陸軍はまだやれるとせめて本土での決戦を望むが、天皇陛下がこれ以上の戦いは望まないと、そのご意思を示された。

 

 

 

 陛下のご意思は絶対だが、公にさえならなければまだあるいは、
そんな思いで抵抗する将兵もいたようだ。

 

 

 

※このコラムは2024年10月18日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 日本の主要な街は焦土と化す泥沼の戦争、逃げようにも逃げられない最中、靖国で会おうと互いに別れを交わし、自らを犠牲にしてこの世を去っていった数十数百万の魂の子孫が我々日本人である。

 

 

 それから約八十年の歳月が流れ今に至るわけであるが、北海道の自衛隊駐屯地の周囲は大陸の共産主義者によって買い占められ、対馬は朝鮮人が土地を買い進めているようだ。

 

 

 そればかりではない。

 

 

 日本のあらゆる命の源である水源を、こともあろうか大陸の共産主義者が買いあさっている有様だ。

 

 

 下流に住み、農業や飲み水として頼り住む日本の民間人の、いわば生殺与奪の権を握られているも同じであると言えよう。

 

 

 なぜかは簡単、大陸からの命令があれば毒や細菌を使っていとも簡単に彼らの敵を容易く片づけることができる。

 

 もうすでに彼らの人質になっているようなものだ。

 

 

 かつての占守島の戦いを前回ご紹介したが、共産主義者はたとえ卑怯な手でも、その手段を選ばないと考えた方が良い。

 

 

 例え主義が違うとしても同じ人間だから、きっとそこまではやらないだろうという人間の世界を舐めた甘い考えは早々に捨てた方が良いと進言する。 

 

 

 人権や法よりも共産党の指導が優越する大陸では、その体制をいい事に酒池肉林に溺れさす接待を用意して各国要人を招き入れている。

 

 

 その対象はもちろん日本も例外ではない。

 

 

 やたら中国に肩を持つ官僚や議員は、そうした罠に嵌められた結果、写真や映像という形で弱みを握られ、国家の機密を横流ししている有様だといわれている。

 

 

 一時の過ちを、一生涯にわたって利用されるわけだ。

 

 

 先にも述べたように、そうした欲に溺れた者たちはあの世で、ご先祖をはじめとした数十数百万の英霊からどんな責めを受けるのだろうか。

 

 

 わたしたちはそれでも、後に託してくれたかつての英霊の方々の願い通りに、後の世代に国を受け継がせていかなければならない。

 

 過ぎたことは取り返しがつかないから、それなりの罰を受けてもらうほかないのは明白で、今この瞬間からどう振る舞うかが重要だろう。

 

 

 さもなくば、いくらなんでも申し訳が立たない。

 

 

 

※このコラムは2024年10月17日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 信用は、より実績に伴う。
価値観と発言力への信用は人間性と実績次第だろう。

 

 

 かつて世界は危うく核戦争へ突入し、人類は滅亡の一歩手前までいったが、将校の一人が承認を拒否したことで回避されたという。

 

 

 キューバ危機の最中、核を搭載した潜水艦が周囲の爆撃から逃れるために海中深く潜航、電波が届かないため外部からの情報から断絶された。

 

 

 状況からすでに開戦したのではと判断。
核攻撃を艦長と将校2人の合計3人で決め、実行しようとしていた。

 

 

 しかし、1人が承認を拒否し、核攻撃開始を回避した。

 

 

 通常、承認した艦長と政治将校の合計2人の承認だけでも同攻撃は開始されていたが、承認を拒否した将校が艦長と同じ階級にあったことと、前年、とある事故での彼の勇敢な行動と名声が、彼の拒否判断に対する強い尊重を後押ししたという。

 

 

 このように、実績と名声のある人物の主張は、時に多数決を覆す。

 

 もしかすると世界は、核戦争の惨劇からは彼の実績によって救われたのかもしれない。

 

 

 さて、先日社長に話をした、あのごみ収集事業だが正式に買い取る形で会社が引き継いだ。

 

 

 少し離れた都市や地域の大半を受け持っているのでそれなりに大きいが、維持するための人件費も大きい。

 

 

 唯一の収入である行政からの委託費用と収支のバランスを管理する必要があるが、それさえ乗り越えればいい投資だという。

 

 

 もし、自動でごみを収集できる仕組みを組めれば最高だと社長は言う。確かにそうだが、もしそれを実現するとなるとドローンというよりはロボットの方が向いている気がする。

 

 

 ロボットも二足歩行にこだわる必要は全くない。
ただ、安全性を前提に行政が許可してくれるかどうかだ。
そこまで考えると簡単な話では無いなあ。

 

 

 それらに全く実績のないうちの会社が本当にやるかどうかはともかく、人員整理を兼ねて人材をその会社に転籍をさせたいという話になった。

 

 

「誰か行ってもらえるかなあ。」

 

 

 いい人がいますよ。
あの先輩なんかどうでしょう。

 

 

 あと、わたしが巻き込まれた事件を起こしそうな、なかなか言う事を聞かない人たちとか行ってもらえば良いと思います。

 

 

 

 基本的に外部からモニタリングできるうちの会社の業務はほとんど人の出社を必要としないようにできる。

 

 

 わたしが今までそうしてきたようにだ。

 

 

 トラブルや改修に対応できる技術を持つ人物が数名担当すれば済むくらいには自動化できるので、このタイミングでそうしたらどうかと積みあがったストレスを発散するように社長に言っておいた。

 

 

 そのリストは藤沢さんのサポートのもとに、近場への挨拶回りついでに情報収集しつつまとめておいた物だ。

 

 

 本当に彼らが赴くかどうかはそれぞれの意思次第だが、嫌なら会社を去るだろう。

 

 

 問題があるとすれば、彼らが去っても大丈夫なようにアップグレードして回る必要があるくらいか。

 

 

 ほかの人はともかく、あの先輩なら『男ならこうじゃなくちゃ』やら『貢献しなくちゃ』やら、随分かっこいいことを言っていたので、ぜひ活躍を期待したいところだ。

 

「改めて見ると、いつの間にかこんなに人がいたんだ。必要だと思ってたけど、意外と少なく出来そうだね。」

 

 

 自動化できるところはとことん自動化した方が良い。

 

 

 海面上昇をはじめとして、気候変動が激しくなってきた現代では、このまま人間が今までどおりに、しかも普通に生活し続けられるかなんか誰にもわからないからだ。

 

 

 

 その後、あの先輩をはじめとした社員が「ごみ収集事業の自動化を前提とした情報収集」の大義の元、未来はむしろ君たちにかかっていると鼓舞されて意気揚々と向かったらしい。

 

 

 収集車などリソースの維持費用と、燃料コストもあることから撤退する小さな受託会社が多い中、それらの担当区域も引き受ける流れであったため、人材の補強としては十分な施策だった。

 

 

 ただ、やはり体力的にそれまで携わってきた人たちとは圧倒的に敵わないこともあってか、順応するまでとても苦労したという。

 

 

 親会社の社員という立場もあって、足手まといになる分は仕方が無いと現場の人達の間で消化され、それぞれの感情は相殺される形で人間関係の問題まではなんとか至らずに済んだらしい。

 

 

 何より、なり手がおらず人手不足だったから、多くは歓迎されていたこともある。

 

 

 

 家に帰らず拠点にくすぶっていた人たちをはじめ、体力がありそうな人たちは現地で単身赴任や一人暮らし、それぞれが自分の空間を持って決まった時間に身体を動かす生活サイクルになった。

 

 

 自分の意思で行った人たちなので、帰りたくない家にも帰らずよくなり、精神的にも健康になっていったらしい。

 

 

 なお、あの先輩には人を募る際に社長から、わたしが先輩ならきっとやってくれるだろうと言っていたとだけ伝えてもらっていた。

 

 

 それが効いたのか知らないが、チャレンジだと言って早々に移ることを決めてくれたようだ。

 

 

 適当でも言ってみるものである。

 

 

 わたしたちといえば、言い出しっぺとして彼らが移った後の後始末に追われている。

 

 今思えば、もう少しくらいは人を残しておくよう、社長には控えめに伝えておけばよかったかもしれない。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は架空であり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2024年5月11日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 朝鮮半島は北と南に分かれて大変だ。

 

 あなたもそう思うだけかもしれない。

 

 

 かつての東西ドイツや、ベトナムもそうだったし、ある意味今の中国もそうかもしれない。しかし日本ももちろん決して他人事ではなかったのだ。

 

 玉音放送で日本の敗戦が伝えられ、陛下の意思は絶対というなかで武装解除が進められた。

 

 だが、どういうわけかその混乱に乗じて北方四島の向こう側より、北海道めがけてソ連軍が侵攻を始めたのである。

 

 

 千島列島の先端にある占守島しゅむしゅとうにて立ち向かったのは、優秀な指揮官率いる精鋭の戦車第11連隊だった。

 

 

 ソ連軍はそのまま混乱に乗じて日本の半分を占領するつもりの侵攻ゆえ、それを少数の部隊で抑えきるのはさぞ、至難の業だっただろう。

 

 壮絶な戦いを物語っていたのは、焼けた隊長車の中から大佐が壁面に寄り掛かった状態で立ち姿のまま亡くなっていたそうだ。

 

 

 戦後、ソ連軍司令官も甚大な犠牲に見合わない全く無駄な作戦だったと振り返っている。 

 

 

 後の20日に日本軍の師団長がソ連艦上にて降伏文書に調印し、これを以て終結したものの、残った将兵はその後シベリアに抑留されるなどし苦役を強いられ、多くの命が失われている。

 

 

 今日こんにち、北方領土問題として四島を返還するようロシアへ求め続けていることは、義務教育を受けた人なら誰もが知るところだろう。

 

 

 この件は明らかに日本の統治権と日本軍の武装解除の混乱の隙をついた卑怯な作戦であって、誰も抵抗する者がいなければ、北海道はおろか日本の東側は共産圏の手に落ちただろうと言われている。

 

 

 ゆえに、北と南で体制が異なる朝鮮半島のような分断は決して他人事ではなかったのだ。

 

もしかしたら、こんな国が出来ていたかもしれない。

 

「北日本民主主義人民共和国」

 

 

 北日本の現在は目前の侵攻に対して、当時の中将ら自分たちの判断でそれを防いだ勇気と犠牲の賜物に他ならない。

 

 

 北海道に駐屯する陸上自衛隊第11旅団、第11戦車隊はかつての奮戦を称え、精神の伝統を受け継ぐ意味で戦車砲塔側面に「士魂」の二文字を描き受け継いでいる。

 

 

 イスラエルだけでなく、ウクライナに対しても武器を供給するのみの米国が果たしてあてになるのだろうか。

 

 

 

 

※このコラムは2024年10月16日にnote.comに掲載したものです。