雨が降りそうな日は読書 | ぐるぐる奇譚

ぐるぐる奇譚

私におこった不思議風なお話を伝えたいと思い
書いています。読んで頂けたらうれしいです。

休みの朝の眠りは深い。

ゆっくり起きる。

 

ラジオで時報を聞いてその後ニュース。

おお、あの件のことをちゃんと報道するか。

見直しそうになるが、あの件には触れず

とんちんかんな説明をしていた。

聞いてる人、これに違和感なかったら終わるな。

 

ああ、方向性に迷いはないのねー

 

デジタルデトックスを実行して読書する。

 

「悪魔とのおしゃべり」を読み進める。

文字の配置のせいか読み易い。

スピリチュアル系の動画を見たり

「引き寄せの法則」など見てもわかんない。

わかった気になるが実行しようとすると

なーんかスカスカな感じ。

 

やっと意味がわかった気がする。

「ワンネス」ってことも何度も読んだが

ふーん、そいうなんだと思っていたが

この本は会話形式で書いてあったので

「そういうことだったのか」と腑に落ちた。

 

中学の時に井上陽水の曲で

「限りないものそれは欲望」って歌詞で

次々に欲望が出てきて満たされた後

次の欲望が出てきて、最後は好きな相手との

結婚式で欲望が満たされて「なんだか」的な

気持ちになる。醒めた気分になったことを覚えてる。

 

本を読んも1回目でなんとなくわかるぐらいで

時間をかけて別の角度から本を読んで理解する。

まるで読書のジグゾーパズルだ。

本がピース。1冊読むといくつかピースを手に入れる。

同じ話題をいろいろな本で別の角度から見る。

やっとこさ理解とまではいかないがなんとなくわかる程度。

 

スピリチュアル系の動画で人生の目的って内容を見た。

自分の人生はジグゾーパズルのようなもの。

ピースを集めて絵を完成させていく。

しかし、ジグゾーパズルをピースを集めて

絵を完成させていくけどそれは自分の絵ではない。

他人のピースを集めているという例えがあった。

なるほど、そんな人を見かける時がある。

 

いろいろな人と出会うのは相手からピースを

受け取るため。受け取ったら離れる。

最近、人との出会いの動きがない。

きっと受けるピースが複数なのだろうか。

 

「幸せになりたい」ということに関しても記述があった。

「幸せになりたい」と願うことは

「今、幸せではない」と実感してること。

 

私は毎日、仕事に行ってご飯を食べて、寝る。

この生活に体調がついて行ける。これで十分さ。

 

「幸せになりたい」と20代半ばから始まる「結婚」が

あったが、どーもそれに縁がない私とそれを感じとる両親。

うっすら希望があった20代が去り、私は当時、原因不明の

体調不良だった。のちに後遺症と判明する。

30代は5才の時の事故の遅れてやってきた後遺症への対応。

仕事にいくことに全力を費やす日々だった。

 

幸せどころじゃない。生きてるだけで精一杯だった。

今、身体に痛みを感じると「そろそろか人卒業か」とか思うが

30代の身体の痛み、不調はすごかったが「終わり」は感じなかった。

平日働けるが土日はひたすら寝ていた。

やはり、若さがあったので「絶望」してなかったのかな。

 

本を読んで最後のほう自分の体調のことがあった。

「病気を治したい」と思う時点で病気は治らない。

この考えを30代で知りたかったな。

 

当時、いろいろな本で読んでいたんだろうけど

頭に入ってこなかったんだろうな。

本の文章を見てたんだろうなって。ウォッチャーですかね。

本を読んでやっと頭に入ってくるようになったんだろうな。

 

甥っ子がブックオフいくというのでいらない本を

持っていてと渡した。

先日、甥っ子が古いコロコロコミックを漫画の古本屋に持っていて

金額がついたというので「わたせせいぞう」を検索してもらった。

「ハートカクテル」の12冊セットは3000円だそうだ。

萩尾望都の愛蔵版とかハードブックがあるのでそれを売ろう。

 

「バチカン奇跡調査官」って小説で図書館の話があった。

病気で亡くなった図書委員の生徒が自分を慕う後輩のため

自分の亡き後、後輩が読みそうな本に栞を挟む。

 

慕う図書委員が亡くなったあと後輩が栞に存在に気付く。

それを心の支えに本を選んで読んでいく。

 

本は読み続けなきゃ。

 

本を読むのを止めたらつり橋から落ちてちゃって

 

向こうの次の知識の土地に渡れない感じ。

 

☆☆☆☆☆

 

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あれだけの本に囲まれて暮らしたい。

 

子どもの頃、生死を分けた手術をしたとき

日本初のレントゲンで常時撮影状態されてた。

アメリカから技師が来てすぐ撮影を止めた。

37才過ぎるまで発病の恐れがあったそうだ。