演劇企画ユニットサンサン「3coins」 | この辺りの見所の者

この辺りの見所の者

気ままなブログです。





2024/6/1.2

秋田大町ココラボラトリー

演劇ユニットサンサン「3coins」



6/1日の15時の部は追加公演。


秋田の演劇を観劇する機会は少なくないが、ぼっちのマイペースを貫いているので、身内意識の忖度をすることは無い。多少アウェイで緊張感のある方が観劇の集中力が増す。


演劇で2回観劇したのは初めてだ。何故2回観たのか。リピート券で500円で観れると言う事もあったけど、6/2日はゲリラ豪雨でびしょ濡れになり風邪気味になりながらも行ったのは何故か。


パッと見は三人のメンヘラ女性の挫折からの復活を描いた舞台に見える。テンポ良いロックや挫折の場面はドヴォルザーク交響曲第9番「新世界」の第2楽章の家路や第4楽章が使われている。1回目と2回目を座席を変えて観た。

1回目

6/1 15時の部追加公演

座席が円形劇場の様に舞台を囲っており舞台向かって下手側。


6/2日 15時の部千秋楽


舞台向かって上手側。


ただし、座席の視点から座って場所が舞台の上手と下手(舞台からの上手下手と観客から向かって観た舞台の上手下手は逆。)


視点の違いで、同じ舞台が違って見えたのは新鮮である。下手側から観ると、佐藤らん子さん演じた腰の手術から仕事に挫折し舞台のカフェの痛い常連客女性視点からの景色。上手側から観ると高林瞳さん演じたマッチングアプリにで男を見つけた歴女からの視点。その間の真ん中に の大屋ゆきさん演じる男に逃げられたカフェ東風の雇われバイトママがいる。


1回目観たとき、何でドヴォルザーク新世界なんだろうと思った。2回目観た時に佐藤らん子さん演じたハナコ(らん子ハナコ)の復活の証として、大屋ゆきさん演じるハナコ(大屋ハナコ)さんのカフェのBGM。ちなみに高林瞳さん演じるハナコ(高林ハナコ)で、役名は苗字が違うだけで名前は同じ3人。


3人の信じるモノ、ドヴォルザークの新世界に復活を求める。(らん子ハナコ)新興宗教(大屋ハナコ)オトコ(高林ハナコ)

腰の手術、オトコに逃げられる、マッチングアプリでオトコゲット。そのオトコはたぶん3人共通のオトコ。


高林ハナコが1番正直で、らん子ハナコと大屋ハナコのクッションになっている。1回目の下手側のらん子ハナコの視点から高林ハナコの表情がよく見えて、1番素直欲望に忠実な歴女。

大屋ハナコは、2回目の上手側から観ると下手にある入口に何度か行き、2人の会話を背中越しで聴いている姿の演技も印象に残る。身体の気が3人の中で1番黒いオーラっぽくて、身体の不調からの信じるものへな執着のらん子ハナコやオトコに依存する高林ハナコに比べて、新興宗教に帰依している大屋ハナコと、信じる、委ねる対象の違いが明確。


普通ならは、かなりシリアスなテーマを、テンポ感よく、まるでヤーレンズの漫才みたいにサラッと進めていくので、一見通り過ぎて行くけど2回観ると印象が違ってくる。2回目の上手側で3人の中では1番無邪気な高林ハナコの視点から観るとらん子ハナコと大屋ハナコのシリアスさがより感じ取れる。


自分が台詞をすべて聞き取れていないからかも知れないけど、2回目の時微妙に立ち位置や台詞が変わっていたような気がした。舞台はナマモノだから何回も重ねる事に変化があったのかもしれない。想像の範疇にしか過ぎませんけど。


大屋ハナコが帰依していた新興宗教がカフェのラジオから壊滅状態になった事を知り、100円のロールケーキを出してから、黒いオーラが消えた。


「食は死への階段、ならば美味しいものを食べなきゃ。」この大屋ハナコの台詞が3人が信じていたモノからの救いとなる。ここが個人的に刺さった。

ロールケーキを3人でムシャムシャ口に生クリームつけながら食べる。人でもなく概念でもなく、救いはロールケーキ。


キーになる高林ハナコが3人で3coinsだと言っ

て、毛利元就の三本の矢のように合わせ持つもので100円も300円になるのは、300円以上の拡がりがあるとの願いを演出の寺戸隆之さんは脚本に込めたのだろうか。案外、らん子ハナコと大屋ハナコを救ったのは高林ハナコかも知れないなと、ブログ書きながら、ふと思ったりする。


観客の想像をさせてくれる余白をラストシーンを観て思ったりする。全面的ハッピーエンドではない。カフェが正式に大屋ハナコの店になり、高林ハナコはオトコに振られ、何故からん子ハナコがどうなったかは示されてはおらず、コーヒー一杯で粘りまくる常連客に戻ったままである。

信じたり、解放されたり、また信じたり。

人生はそんな事の繰り返しだよなぁ。

啓蒙や説教じみた事でなく、テンポ感ある音楽のサラッとしたノリとグルーヴで、明るくジメジメ感を感じさせない45分。


1回目は初日の1回目でハキハキと台詞間の呼吸をやや詰め重心高めに一気に畳み掛けた感じで、2回目の千秋楽は重心をやや下げて台詞間の呼吸もアゴーギク(クラシック用語でテンポやリズムの意識的変化)があったり。



最後にひねくれた事を言って締めます。

舞台は一旦終わったかのように見えて、3人が去ってからエピローグの場面で再び登場するとき、1日目は観客の拍手が無く2回目は一旦退場でたぶん自分以外の観客は拍手していた。フライング拍手だね。

ははあ、リピート券買った人は自分だけかも知れないにと思ったな。


クラシックのコンサートでもフライング拍手が話題になるから、劇伴にドヴォルザークの新世界をメインに据えた事で、1回目と2回目の観客の雰囲気の違いも自分にとってはわかりやすかった。


2回行くくらいだから面白かったのは間違いない。観るたびに発見があった。惜しむらくは正面席でも観たかったな。また気づきがあるかもしれない。


3人の俳優の技量と演出家の組み合わせとハコが化学変化を起こした芝居でした。



ブラボー👏👏👏👏👏。