御成座で「ほかげ」「枯れ葉」を観た | この辺りの見所の者

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朝早く行って10時の回の枯れ葉と13時の回の、ほかげ、を観て塚本晋也監督舞台挨拶が終わったら帰るつもりでいた。


安定の寝坊


朝の10時に土崎アパートを車で出発。昼前に御成座に到着。

秋北食堂でカツ定食。かなり混んでいた。



なんの情報も無しに先入観無しで「ほかげ」を観た。戦後間もない頃の日本の闇市が舞台。


劇中、登場人物達が眠っている時にうなされてる場面が多々ある。見終わった後に塚本晋也監督舞台挨拶のときに仰られた言葉を聞いて、うなされてる場面を思い出していた。子役の少年の台詞「怖い人にならないと戻って来れない。」


人間が人間であろうとすれば戦地から戻る事が出来ない。怖い人になって戻れたとしても、人間を一旦捨ててしまった(捨てざるを得なかった。)代償は心にこびりついて死ぬまで取れる事はない。塚本晋也監督が暴力は連鎖するもので、個人がいなくなっても無くならない事例をあげていた。戦争は人間が畜生になってまうもの。それは暴力として連鎖して受け継がれてしまうもの。


主役の趣里、森山未來の眼の光と闇の演技が見事。河野宏記演じる復員兵の優しいと暴力の揺れ幅にもドキリ。子役の役視点からの三人の人間の生き様を見せつけられる。テーマは重くともきちんと映画としての体は保っている。主な登場人物すべてが夢にうなされている。


怖い人になって戦地から戻っても、蝕まれた心が戻る事は一生無い。子役の子供も歳を取った時に苦しみが待っていると思うと何とも言えない気持ちになる。



13時回上映終了後、塚本晋也監督舞台挨拶。






16時から、アキ・カウリスマキ監督の枯れ葉。名前だけは知っていたけど、初めて観た。


不思議な気持ちで観ていた。ロシアのウクライナ侵攻の様子が劇中何度もラジオから流れてくる。2022年が舞台のはずだけど、映像の色彩と画角からゴダールの映画を観ている気分になっていた。劇中のポスターにゴダールの、はなればなれ、やデスモンドが出て来る。劇伴の音楽が2022年の音楽ではなく、一昔前のロックやマンボ、チャイコフスキーの悲愴。二人の孤独な男女の物語だけど、古き良き時代の映画を観ている感じが、ラジオでのウクライナ侵攻、二人が労働している場面は2022年の画角と色彩でリアルな現実に引き戻される。


2022年のヌーヴェルヴァーグから遡る古き良き映画を観ている錯覚に陥ってしまった。ラストの犬の名前でも。

現在の時間軸からヌーヴェルヴァーグを描こうとしたのかはわからないけれども、アキ・カウリスマキ監督の希望と救済が込められているのだろうか。