響の会復活第一弾は清水寛二師の卒都婆小町 | この辺りの見所の者

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11月17日。東京青山にある銕仙会能楽研修所舞台で10年ぶりに響の会が復活した。響の会は観世流能役者で銕仙会所属の清水寛二師、西村高夫師の同人で1991年に結成。2011年までの20年間で60回の本公演研究公演でを開催。

響の会の能の集いに参加した事がキッカケで響の会の公演に行く機会が増えた。


10年ぶりの響の会第六十一回公演は〈卒都婆小町〉を清水寛二師が舞い、地頭を西村高夫師が勤めた。


小さな能楽堂で〈卒都婆小町〉を観能したのは矢来能楽堂で観世喜之師が舞ったのに続いて二度目。小書無しの卒都婆小町なのでワキの次第囃子がある。


脇正面後ろのベンチ席。


仕舞〈白楽天〉

シテ/鵜澤 久


仕舞〈野宮〉

シテ/山本順之


地謡/馬野正基、北浪貴裕、安藤貴康、小早川泰輝


鵜澤久師の舞台は久しぶり。気合の入り方が違う。強い足拍子で脇能としての位を出していた。


山本順之師の舞台は、味方健師の〈卒都婆小町〉で地頭を勤めたのを観能して以来。やはり歳を取られたなと思ったりしたが、舞台空間を創り出す位はさすがだ。


能〈卒都婆小町〉

シテ/清水寛二

ワキ/大日方 寛

ワキツレ/御厨誠吾

笛/槻宅 聡

小鼓/観世新九郎

大鼓/白坂信行

地頭・西村高夫

地謡/柴田稔、小早川修、北浪貴裕(後列) 

観世敦夫、安藤貴康、谷本健吾、小早川泰輝(前列)

後見/観世銕之丞、浅見慈一


清水寛二師は故観世寿夫師の最晩年にギリギリで直に薫陶を受けることが出来た。観世寿夫が実験工房で試した事などは、清水寛二師主宰の青山実験工房として受け継がれている。


告白しなければならないが、能は能であって演劇では無いと思っていた時期があった。それもあってか観世寿夫に対して能以外の演劇とのコラボに対して醒めた眼で見ていたのだ。


結論から言うと清水寛二師の〈卒都婆小町〉物着前までの舞台は、映像でした観た事が無い観世寿夫を思い浮かべてしまったのだ。特に〈俊寛〉の(これは筆者の誤りか〜)の凄味を感じた場面である。舞台に入り、左手を突き出し指先を曲げ掴むかの様な場面で思った。清水寛二師の舞台は幾度か観能してはいるのだか、最初の次第謡から今まで観能した清水寛二師の謡とは何かが違う。失礼だが、こんなに芯のある謡だったのかと。


習ノ次第の囃子、小鼓の観世新九郎師の絞り出すような掛け声が良い。槻宅聡師の伸びやかな笛。久しぶりに観たが、笛の音色は以前はつや消しっぽく感じていたが、品が増していた。

大鼓の白坂信行師の右手のフォームと掛け声は弓をギリギリまで引いている様で一気に弓を放つ様な打音。


幕離れからの休息、体感的には自分が今まで観能した卒都婆小町で一番長い休息に感じた。小町の陰翳の凄味が橋掛かりへの老女のハコビにも感じる。


ワキとの問答、今回は床几(鬘桶)でなく正中に下居。ここで後見が一の松で落ちた笠をシテの手に添えた。このフォローはさすがだが、笠をきちんと付けれなかったのは痛手であると言わざるを得ない。幸いにも最初の方だったのと清水寛二師の落ち着いた謡とハコビであまり舞台空間に影響は少なかった。見所もジワが起きなかったのも幸いだった。それも次第謡からの舞台空間の凄味と後見の判断がそうさせたのかもしれない。


問答は疲れ果てた小町がワキとの問答に次第に矜持を取り戻し老女の面がきつい表情に変化する。闇のなかで彷徨い老いた苦しさになっていた小町が謡は強くなり、ワキに対する圧が増していく。ワキの大日方寛師は、〈卒都婆小町〉のワキは披キらしいが、シテの圧に対して後ずさり型はなかなか。最初の次第謡はかなり緊張して硬さも感じたけど、問答は落ち着いて大きく見えた。卒都婆小町のワキとしては及第点といえるだろう。ワキツレの御厨誠吾師も問答で小町に突っかかるところも悪くない。


左手の凄味や問答を観て、能ではあるけど前衛劇の舞踏のような空間を感じたのは何故だろう。照明を抑えた効果もあったのかも知れない。

照明の工夫とは、最初のワキの次第の囃子や物着後の四位の少将が九十九日通いの月夜にやや照明が明るくなり、全体の照明はいつもの能楽堂より暗め。その変化も自然な変化だったので悪くない。


西村高夫師地頭の地謡は、西村高夫師の謡が増幅された、落ち着きのある、やや柔らかくふくよかなもので統率も取れていた。


憑依後の物着からは四位少将の品がくっきりと舞台空間に現れてう。それまでの凄味ある現在能が幽玄に変わった。観能後にとある人とのやりとりで夢幻能に観えたと言われたとき、内心ハッとした。だからキリがあんな感じで終わらせたのかと。

卒都婆小町のキリの空間の変化を自分の観能のポイントとしていたが、小町と四位少将が重層したままで留になった気が後から考えたら思えた。


前半の舞踏のような空間に、観世寿夫並みの謡の強さと凄味の左手。物着後からの品。現在能と夢幻能の塩梅が素晴らしい舞台だった。


この〈卒都婆小町〉を観能したら、能は演劇でもある。

腑に落ちた。




清水寛二師のFacebookからお借りしました。

観能記、一気に書いて誤字脱字だらけだったので訂正しました。