今年の1月22日に能絵製作の浅山澄夫さんがお亡くなりになりました。
去年の11月30日に浅山澄夫さんの能絵展に伺った時のブログを再掲載します。
浅山澄夫さんからは、出雲の佐陀神能の存在をご教示していただき、自分が出雲に行く後押しをしていただきました。
11月30日にご挨拶させていただきました。まさか一期一会の出会いになるとは夢にも思っていません。
当日の楽しい思い出を思い出しています。
浅山澄夫さんの御冥福を御祈り申し上げます。
今年の能絵カレンダーは大事に取っておきます。
先月の11月30日(日)一カ月振りに上洛。
目当てのものは、まだ時間には早かったので先に京都文化博物館にいきました。
ジャズを少しかじった人なら、野口久光さんはジャズ評論家で知っている人もいると思います。その前に映画のイラストポスターを描いていたのは知りませんでした。
ジャズを少しかじった人なら、野口久光さんはジャズ評論家で知っている人もいると思います。その前に映画のイラストポスターを描いていたのは知りませんでした。
それぞれの映画を観たいなと思わせる雰囲気のあるポスター。様々な顔を持っていたのだなと納得。他の展示では池大雅の作品展もあり眼の栄養をたっぷり取って、本来の目的地へ。烏丸御池にある、しまだいギャラリーへ。
そうです。これが目当てなのです。
そうです。これが目当てなのです。
浅山澄夫さんの能絵作品展。様々な曲のシテが描かれていますが、個人的に気に入ったのは千手のシテが真横に下居している能絵。平面の重なりで外に放射しているというより、奥に引っ張られるしなやかな磁力の強さを感じて、じっと観ていました。
13時半から、能「葵上」のレクチャーと仕舞を観世流シテ方 松井美樹師が能絵作品展の様々な催しの主任を勤めます。
会場には葵上に使用される装束や、使用する面の小面、泥眼、般若も置かれていました。
葵上のレクチャーは、演者からの視点の話で、般若の面は口が開いていますが鬼面で口が開いているのは、まだ人の心が残っているとか、相手を思うがあまりの気持ちがそうなってしまった純粋さがあるとか、興味深い話が飛び出します。
1番ハッとしたのは可愛い女性の小面と般若の面は表裏一体という話でした。心のバランスが崩れた時、小面は般若に変わる。
小面の微笑みは時には般若が見え隠れする凄味にもなり得る。
葵上の後シテは打杖を持って現れますが、それを、神職が祓うときの作法である左右左に振ってから上から二回打ちおろすという話も身を乗り出して聴いていました。
身体の密度がパンパンに詰まっていて松井師の御顔が面(泥面)を付けているのではと錯覚する凄味があり、蛍を追いかける型は左に面をシュッと切りました。この型は左右に切ったりして蛍がシテの視線にどう映るかを見所に想像させるところでもありますが、松井師は何匹もいる蛍を追いかけて見るのではなく、一匹の蛍、身体から魂が抜け出した光を蛍に見立てて視線を左にというように自分は想像しました。
気の圧力が強くて若干押されてしまいました。
見所の者としては不覚。
12月13日の葵上本番の時には立合で負けないようにしたいと心に秘めて。
困ったのは、お茶の作法なんてまるで知らないし、隣の方の見よう見まねで冷や汗をかきながら頂きました。ただやらかすのがタカハシクオリティで庭を眺めながら抹茶を頂いていましたが、緊張の余り前にガラスがあるのを忘れて身を乗り出して頭をガラスにぶつけてしまいました。
穴があったら入りたいとはこの事です。
仕舞を観ている時とガラスに頭をぶつけてしまうとにの高低差がありすぎました。
しばらくお茶を頂くのは止めとこう。
帰りに来年の能絵カレンダーを購入して伊勢に戻りました。