松阪市民能に見所の者が来た!!part2 | この辺りの見所の者

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午後5時から、ワークショップが始まりましたが、疲労気味だったので会場のロビーで仮眠。1時間くらいだったかな。
午後6時半前に狂言「口真似」が和泉流狂言師 井上松次郎師のシテ、子息の井上蒼大師と鹿島俊裕師のアド。

井上松次郎師を観るのは、武悪以来。
松次郎襲名したばっかりだったかな。
謡も身体も、その時よりも、ややシャープになった感。狂言は玄人と素人の差が能よりもわかりやすい。まだ小さい子供も蒼大師は、やはり玄人の息子。間合いが違います。
楷書の口真似でしたが、力みの無いものでしっかりとした舞台でした。
主の口真似をする太郎冠者がの悪びれる様子が一切無いのが笑えました。井上松次郎師はまた観てみたい。

能『阿漕』
シテは喜多流能役者 長田 驍(たけし)師。
自分が伊勢に来てから観る機会が多く三重県在住です。
自分としては隠れた名手だと思っています。八月の伊勢薪能でも経政を勤めました。確か、お歳は70代だったはずですが、経政を観て、お歳を取られたなあと正直感じていました。
観能後、自分の観る目の無さを思い切り恥じる事となります。
阿漕というのは、阿漕が浦という伊勢の神宮に魚を供えるための場所での禁漁区でこっそり漁を取った漁師が海に沈められた話。阿漕という駅はJR紀勢本線にあり松阪からも遠くに無い距離です。ご当地での演能といっても良いと思います。
ワキの飯富雅介師の伊勢の神宮に参詣する僧は落ち着きのあるもので、途中和歌を詠む場面も渋く味わい深い謡のフシ。
前シテは老人出立ですが、幕離れは、やや抑え目でハコビがやや不安さを感じました。舞台に入り、少しずつ調子を上げていって、前場の語りは一節ごとに間を溜めて場面ごとに謡のイロを変化させます。老人は自分が阿漕が浦でこっそり漁をして見つかり殺された漁師だということを匂わせます。中入前の老人が釣り糸を垂らす型は、それまでの陰惨さを身体の内側に滲ませていた空間からハッと型の斬れ味が炸裂。自分もハッとしました。老人の身体の密度が後シテの漁師に変化した空間の変化の出し入れは見事です。
前シテが中入してアイは井上松次郎師。
序破急での語りが良い。
後場の後シテは痩男の面で、やや硬質な青白い気がビンビンと空間を支配。執心の型の斬れ味は更にキレにキレての痩男の面の凄味。
観能していて、こんなにウキウキしたのは本当に久しぶり。地謡が非力でも全く気になりませんでした。シテの個人芸で最後まで持っていきました。前場の内側に引き込む気と後場の外側ので気の放射で舞台空間の変化を見事に表現。
個人的に阿漕は、観世流能役者 関根祥六師の演能が印象に強く残っていましたが、
長田驍師の阿漕は、シテの芸だけなら、それと勝るとも劣らないものでした。
長田驍師の演能から、師匠であった十四世喜多六平太師の芸を追体験させてもらった気がしてなりません。
型の斬れ味で、舞台空間に余計な皺の波紋を残さずに演ずる。なかなか出来る役者は現在では多くありません。空間を振り切れずにまとわりついてしまうのです。

この名演を500円で観れたなんて、お得過ぎる。