↑のつづき。
さて、
石井町の白鳥伝説の地を後にして
この日最後の神社へ。
車で東へ10分走らせた。
徳島市国府町。
重要な延喜式内社が多く鎮座しており、
初めて徳島に来た2023年にも
この国府町を真っ先に目指したものだ。
そして、ここは国府町和田。
和田(ワダ)の由来は
『海神(ワタツミ)』である。
徳島県は全国でも唯一
延喜式内社で『豊玉姫』を祀る神社がある。
『天石門別豊玉比売神社』と
『和多津美豊玉比売神社』である。
数ある和多津美豊玉比売神社の論社のひとつ
王子和多津美神社にも参拝した。
そして、そこから徒歩ですぐのところにも
和多津美豊玉比売神社と云われる
神社が鎮座していた。

なんと線路沿い。

とてもこじんまりとした神社。
ここが和多津美の宮跡地とは…

鳥居の扁額は『西宮神社』。

拝殿。
延喜式内社 和多津美豊玉比売神社 論社
『西宮神社』
鎮座地 徳島県徳島市国府町和田西ノ宮
創健 不詳
祭神 豊玉姫命

素敵な田んぼ。
『皇祖の地「高天原」の証明』の中で
阿波古代史の重鎮 笹田孝至氏はこう述べる↓
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豊玉比売命が配祀されているのは
阿波一国のみ。
これは阿波国が天孫降臨の地であり、
神武天皇の出生地であることを
明瞭に示すもの。
二座のうち和多都美豊玉比売神社は、
天孫3代目日子穂穂手見命と出会った
井の上(いのへ)の
和多都美宮推定地(旧井上郷)に、
また、天石門別豊玉比売神社は、
姫の葬場跡(徳島市城山)に、
明治の初めまで御城内
龍王宮として鎮座していた。
神代から人皇の時代へ、
阿波ではその神蹟をとおして
記紀の物語の舞台が再現できるのである。
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笹田孝至氏は、
延喜式内社 和多津美豊玉比売神社を
こちらの神社に比定している。

横から本殿。
重要な神社のはずが、小さな社。
しかし、ド派手にアピールしないところが
阿波徳島の神社の良さであり、
ワタシが徳島を好きな理由でもある。

鳥居の向こうはすぐ線路。
列車が通らないかなぁ…
と、少し待ってみた。

和多都美豊玉比売神社の論社は他にもある。
徳島県徳島市不動西町に鎮座する
『雨降神社』(後日参拝)や、
徳島県徳島市国府町井戸北屋敷、
井戸寺の隣に鎮座する
『井上八幡神社』である。
式内社
阿波古代史のバイブル
『道は阿波より始まる』より↓
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当時、和田村全村にまたがるほどの
大寺「妙照寺」がありました。
和田村はこの寺の寺領で、
勿論この寺の母屋が和田津見豊玉宮です。
当寺の「おも影井戸」は
空海伝説で井戸寺の名称にされていますが、
他国の風土記に全然出てこないのは
当然のことで、
九州地方全地域が
倭朝廷の支配下に入ったのは
豊日孁命の御宇からです。
今から五、六年前、東京の人で、
古代象形文字の研究家相馬氏が、
その著書『古代文字の研究』の中で
九州地方出土の甕棺とか、
洞穴の岩壁に記されている
古代文字の例を示されて解読、
「阿波、伊与を討て」
との呪詛が多くあるとの
一文を読んだことがあります。
史実に合致しておりますので、
どのようにして解読せられたのか
一度お会いしたいと思いつつ
果されていません。
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この文面が、いかに重要な意味を持つか
ご理解頂ける方がどれほど
いるのだろうか。
大日孁命(オオヒルメ)とは
卑弥呼のことである(多分)。
そして、
豊日孁命(トヨヒルメ)とは
豊受姫であり、
オオゲツヒメであり、
豊玉姫のことであり、
台与(トヨ)(伊与)(イヨ)のことだと
個人的には解釈している。
その時代に伊予の国から
九州に進出したのであれば、
支配された側の九州土着の民たちは
阿波のイヨを恨むのは当然のこと。。
そして…
待つこと数分…


帰ろうとしたら、列車が通った❗

なんとアンパンマン列車❗❗
アンパンマンも豊玉姫(豊受姫)も
同じように食の神様。
アンパンマンの作者である
やなせたかし氏が育った場所は
同じ四国の高知県である。

阿波徳島は踊りたくなるほど
面白い❗
翌日は、
さらに豊玉姫の痕跡を求め、
龍王宮跡に行くことを決めた。
つづく。
ではまた❗