↑のつづき。
さて、船橋市での仕事を終え、
市川市に移動。
船橋駅から東武線の新鎌ケ谷駅で乗り換え、
北総線で北国分駅下車。
駅から徒歩で約10分。
見てみたい場所があったのだ。

『堀之内貝塚公園』。
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貝塚文化最盛期である
縄文時代後期前半(約4000年前)から
貝塚文化衰退期の
縄文時代晩期(約2500年前)に
かけて形成された遺跡です。
貝層は東西に長く、
長径225メートル、短径120メートルあり、
北西部を屈曲部とした
馬蹄形(ばていけい)貝塚です。
出土品は数多くありますが、
なかでも土器は堀之内式土器と名付けられ、
土器編年のうえで縄文時代後期前半の
標式土器になっています。
また、縄文時代晩期の出土品としては
土偶破片、貝製腕輪など
非実用的で呪術的な品々があり、
このころ「祈り」が人々の心に
広まっていたことが分かります。
貝層下からは
縄文時代後期初めの住居跡が発見され、
そのほかに埋葬人骨も検出されています。
発掘された貝類や魚・獣骨から、
当時の人々はアサリ、ハマグリ、イボキサゴ、
クロダイ、スズキ、イノシシ、
ニホンジカなどを捕食していたと
考えられますが、
魚介類に限っていえば浅海や干潟で
比較的容易に捕獲できるものが多く、
遺跡周辺の豊かな自然から恵みを
得ていたと推測されます。
堀之内貝塚では明治時代以後
何度も発掘調査が行われていますが、
その調査の過程は縄文時代文化研究の
学史であり、貝塚文化の消長を知る
重要なものといえます。
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博物館の横の広場から歩いてみた。

鳥居が見えてきた。

『堀之内貝塚神社』。
園内の案内図には
『駒形様のほこら』と書かれていた。
祭神は不明。
同じく市川市の駒形大神社の祭神様は
経津主神と平将門公。
関連性はあるのだろうか。
駒(コマ)とは「小馬(コマ)」であり、
『馬』を意味する言葉。
堀之内貝塚が
『馬蹄形(ばていけい)貝塚』に
分類されている。
こちらの方に由来がありそうだ。
同じく市川市内の姥山貝塚も
馬蹄形貝塚であり、
「C」の文字状に貝塚が分布している。



すてきな公園だこと。

この『堀之内貝塚』は
国指定史跡に登録されている。

足元に落ちている貝殻は、
縄文人たちが潮干狩りで採って
食べた貝だ。
4000年も前のヒトたちの…
ロマンだ。
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食べカスも
千年残れば
文化遺産
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一句詠んでしまった。

縄文散歩に想いを馳せて。

市立市川考古博物館にも寄ってみた。
市川市のホームページを参考にしながら
観てみましょう。

『コククジラ』かっけー。
市内の平田から発見された
大きなコククジラは、
約5,000年前の海岸線と
当時の海の環境を教えてくれる。

下総台地は、国内で最も先土器時代の
遺跡が密集する地域。

市川市には、
約2万5千年前からヒトが住んでいた。
国府台の丸山遺跡で出土した黒曜石の
ほとんどが高原山産であるように、
遠方の石材で石器を作り使用していた。
つまり、
木の実などの植物を採りながら
移動生活を営んでいたと考えられている。


約7,000年前頃、
海面が上昇して南部の低地と
台地の谷筋に海が入り込み、
北部の台地上にムラが出来上がった。
市川市は日本有数の貝塚密集地域で、
堀之内貝塚、曽谷貝塚、姥山貝塚は
国史跡に指定されている。


海退が進み、稲作文化の伝来があった。
水田稲作を中心とした農業が普及し、
農作物の生産が可能となった。
やがて富を蓄え首長が成長して、
ムラ同士の交流や争いが増えていった。

古墳時代になると、
各地の有力者たちは
ヤマト政権を中心に同盟・連合関係をむすび、
巨大な古墳にその亡がらを埋葬し祀った。
市川市では後期の6世紀になって
国府台古墳群が出現し、
前方後円墳の法皇塚古墳からは
多数の副葬品が見つかった。


興味深い『謎の直刀(ちょくとう)』。

刀の刃の根元にはめる金具を
『ハバキ』と呼ぶ。
あら、ハバキ。

直刀は7世紀末期のもの。
武器というよりは、
権力者の副葬品の役割を持っていた。
『瓢塚(ひさごづか)』で発見されたと
されている。
どうやら前方後円墳らしいのだが、
正確な位置は未確定なのだそうな。

ここ市川市には
貝塚が55か所、
縄文時代の遺跡が100か所以上あるらしい。

1万年の間に様々変化した縄文土器。

縄文人が食べたドングリ。

縄文中期のお家。


グルメだった縄文人。




甕(カメ)。
模様が興味深いしお洒落。


『金印』。

須恵器。

7世紀後半以降、
朝鮮半島から渡来した人々が
関東地方にも多く住むようになった。
栃木県や千葉県には、
新羅のものとよく似た土器が出土した。
ところが、市川市の出土品は
粘土が千葉県のものによく似ている為、
新羅から持ち込んだものではなく、
渡来した陶工が千葉県内で生産したと
いう説もあるのだそうな。
おもしろい❗

銅製の釈迦如来像は
どうみてもバアル(笑)

下級役人の服装。
麻製である。

資料室では直接土器を触れるコーナーがある。
お洒落な模様の土器に触れてみた。
貴重な体験をさせてもらった。
貝塚の町 市川市、とても面白い❗
海神の町 船橋市も面白かった。
千葉県は海とともにあるのだ。
幼少の頃は同じ千葉県の野田市に
住んでいた分、思い入れも多少ある。
また来よう。
翌日は東京でのお仕事。
大都会TOKYOにも
阿波の痕跡は遺されていた。
つづく。
ではまた❗

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