↑のつづき。
と、その前に
明けましておめでとうございます☀️
さて、
神奈川の有鹿神社を堪能した翌日は
千葉市でのお仕事。
昼過ぎには無事に終えて
すぐさま電車で成田駅へ。
さらにバスに乗り、
吾妻小学校バス停で下車。
さらにさらに、徒歩で15分。
成田と言えば空港のイメージしかなかったが、
自然豊かで素敵な田舎道が広がっていた。
鳥居が見えた。
金比羅神社の石碑。
光に照らされる社殿。
気になる祠も。
『公津原古墳群(伝 伊都許利命の墳墓)』
と、書いてある。
なんと⁉️
『伊都許利(イツコリ)命』は
先代旧事本紀に登場する
印旛国を平定した神である。
●伊都許利命 由緒
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伊都許利命(イツコリノミコト)は
神武天皇の皇子 神八井耳命の八代目の御孫で、
応神天皇の命を受けて、
印旛國造としてこの地方を平定され、
産業の指導などに多くのご功績を
残されています。
その昔、日本武尊ご東征の折り
大木の虛に鏡をかけ、
根本に七つの玉を埋めて
伊勢神宮に祈願されました。
命(みこと)は、
「この鏡をあがめ祀れば、
永く豊作が続く」との教をきき、
その鏡をご神体として、
この地に稚日霊命を(手黒神社)祀り
その後、ご霊示によって
七つの玉を掘り出して
稚産霊命(台方神社)を祀り、
共に麻賀多眞大神(まがたまのおおかみ)として、
里人の崇敬を指導されてから、
益々豊年と楽土が続きました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
色々とビックリの内容だが、
まず、ヤマトタケルは
剣(クサナギ)だけではなく、
「鏡」や「玉」にも関わっていた。
しかも、『七つの玉』…
さながら、○ラゴンボールだ。
麻賀多(まかた)神社の社名には
古代インドの『マガダ国』が
隠されているのでは…と思っていたが、
『マガタマ』の方だった。
稚日霊命と稚産霊命を共に
『麻賀多眞大神』と称されていたのである。
また、伊都許利命、鏡、玉の
キーワードとともに、鏡作りの祖
『伊斯許理度売命(イシコリドメ)』が
浮かび上がる。
各地に渡った忌部族は
祭祀を司るだけではなく、
モノ作りのプロ集団だった。
『菅原神社』
『熊野神社』
『世直神社』
『粟生日神社』
『高津神社』
粟生日神社の祭神はよくわからないが、
阿波忌部の痕跡の一つと解釈した(勝手に)。
恐らく、「公津」は元々『神津(こうづ)』。
各地に祀られている神社が証明するように、
阿波忌部は、
阿波国⇒伊豆⇒神津島(伊豆諸島)を経由して
房総半島にたどり着き『安房国』を開拓。
さらに北上していくと
『上総国』『下総国』。
「総(うさ)」は『麻(あさ)』のこと。
この地は元々『印旛(いんば)国』であり、
その後、下総国印旛郡となる。
※現在の千葉県
成田市、佐倉市、八街市、
四街道市、印西市、印旛郡らへん。
そして、
「印旛(いんば)」の国名には、
『忌部(いんべ)』が隠されている。
麻賀多神社の社名は、
延喜式神名帳に記載の際、
「真賀多真」が三種の神器の1つと
同名であるとして、
1字取って「真賀多神社」に改称し、
その後、一帯が麻の産地であることから
麻賀多神社に社名を改称した経緯がある。
さらに、奥宮の境内社に
粟生日神社、
高津神社、
加志波比売(カシワヒメ)神社。
天照大御神の神名は、
後世に作られた太陽神の総称とも
解釈出来るが、
カシワヒメはほぼ間違いなく阿波の女神。
また、
↓の記事に書いた通り、
カシワヒメは、
コノハナサクヤヒメの姉である。
そしてそして、
里宮である台方麻賀多神社。
鎮座地は
千葉県成田市台方字稷山(あわやま)。
アワの山である❗
里宮にも参拝しない手は無い。
つづく。
今年もよろしくお願いいたします❗
ではまた❗
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