↑のつづき。
さて、下溝駅で下車し、
有鹿神社奥宮に向かう道中、
鳩川を越えた辺りから
大雨が降ってきた。
しばらく雨宿りをして、
少し小降りになってきたので
再び歩き出す。
Google Mapでは正しいルートは表示されず、
うろうろしていたら、
拓けた場所に出た。
縄文中期、4000年以上も前に
この地に縄文人の集落があった。
縄文時代の住居出入口部には
「埋甕(うめがめ)」がよく発見される。
埋甕は縄文人の再生観念による風習。
土器の中に再生や復活を願うモノが
入れられていたのだそうな。
竪穴式住居は、保温性に優れる一方、
湿度の高い時期に住むには適さず、
「冬の家」とも呼ばれている。
相模原市のホームページより引用↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
○勝坂有鹿谷祭祀遺跡出土の祭祀遺物
この祭祀遺物は、昭和30(1955)年頃に勝坂遺跡下段部の湧水が流れる有鹿谷付近で、土地所有者による水田改良の際に発見されました。
遺物は、銅鏡7点、子持勾玉1点、管玉1点、石製玉類112点、石製祭具(鏡形、勾玉形、剣形等)104点、石製有孔円板65点、土師器6点、玉石8点です。
遺物の年代は5世紀前半から7世紀前半と考えられ、ひとつの祭祀遺跡から発見された祭祀遺物としては、種類・量ともに極めて豊富なものです。
市内には同時期の遺跡は少なく、勝坂有鹿谷が市内唯一の祭祀遺跡であることから、この祭祀遺物は旧市域周辺の古墳時代における祭祀の様相及び変遷を示す重要な資料です。
遺物発見地のそばには現在でも有鹿神社の小祠が祀られ、小祠付近から湧き出る豊富な湧水が鳩川に注いでいます。この湧水は、遠く離れた海老名の水田を潤す水源としても崇拝されており、海老名の有鹿神社関係者による神事「水引祭り(水もらい神事)」が現在も行われています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
色々と散策してみて気づいたのは、
この一帯は、何処かに似ているなぁと
強く感じたこと。
何処かというと↓
阿波国の聖地と似ているのだ。
この地にも、古代の住居跡があり、
ステキな山道が通っていた。
阿波忌部氏は、この相模国を訪れ、
元々あった縄文遺跡に
自分たちの故郷を重ねて
氏神様を大切に祀ったのかもしれない。
ここは本当に素晴らしい場所だった。
『アルカヒメ』という謎の水神についても
考察のしがいがありそうだ。
(アカルヒメに似ていますね)
そして、翌日は千葉県へ。
まさに「忌部の痕跡」を探すのには
もってこいの地域である。
つづく。
ではまた❗
人気ブログランキング