↑のつづき。

さて、1月の関東出張編に戻ります。

1日目の群馬、2日目の筑波、
そして3日目は千葉県船橋市である。

早目に船橋駅に降り立ち、
仕事の前の早朝参拝だ。


約2年ぶりの船橋。

この神社も二回目の参拝。

船橋地方最古最大の神社である。

社号標には『延喜式内 意富比神社』。






『意富比大神宮』の石碑。





今度は『船橋大神宮』とある。



広い境内。

朝の散歩にはもってこいである。



神門。
その向こう側に拝殿・本殿がある。


延喜式内社 葛餝郡意富比神社
『意富比(おおひ)神社』

鎮座地 千葉県船橋市宮本
創健 景行天皇40年
別名 船橋大神宮
祭神 天照皇大御神

ホームページ引用↓
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景行天皇40年、
皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)が
東国御平定の折、当地にて平定成就と
旱天に苦しんでいた住民のために
天照皇大御神を祀り祈願された処、
御神徳の顕現がありました。
これが当宮の創始であります。
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意富比(おおひ)の名の由来には
いくつかの説がある。
大火または大炊の意で食物神説
大日の意。この地方で信仰された太陽神説
●古代の有力豪族である意富氏の氏神説
など。


意富氏と言えば、
常陸国一宮『鹿島神宮』。

その元宮と云われるのが
茨城県潮来市大生に鎮座する
『大生(おおう)神社』。

古代、元々の鹿島神宮の祭祀を
行なっていたのは大生氏だとも云われる。

藤原氏(中臣)との勢力争いの結果、
鹿島神宮の祭祀が藤原氏が担うことなった。

大生氏は『多(おお)氏』であり、
日本最古の皇別氏族とされる。

おお氏」の表記としては、
於保
大生
意富
飯富
などの漢字が用いられる。


※ちなみに、
『古事記』の編者である
安万侶もこの一族。


神武天皇の皇子
神八井耳命を始祖とするが、
『天玉命』との繋がりも感じる。

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意富」は「おお」と読むが、
シンプルに「いとみ」とも読む。
の国のトミ」と解釈すると、
かつて『イの国』であった阿波に
トミ」と付く地名が多くあったことを
思い出した。
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ちなみに、意富比神社の元宮といわれる
『入日(いりび)神社』が
同じく船橋市の海神町に鎮座している↓
以前は海神(わたつみ)村と呼ばれていた。

ヤマトタケルが東征の際にこの地に上陸し、
『入日(いりび)神社』に神鏡を祀り、
海の神として崇めたことが
海神」の地名の由来なのだそうな。

つまり、元々は違う神が祀られていた。

ヤマトタケルが参拝したという伝承が
時を越え、
元々の祭神がヤマトタケル自身に
なっていったパターンはよくある。

伊勢湾方面より海路を利用し、
上総の国に上陸、
次いで下総の国に至った
ヤマトタケルの東征よりさらに大昔、
阿波から房総半島に入り、
北上して関東を開拓したのが
海部族と手を取り合った忌部一族である。


徳島南部の海部郡には
和奈佐意富曽(わなさおおそ)神社』が
鎮座しており、意富で繋がる。

境内には多くの摂社がある。


二基の神輿が納まっている神輿庫。
左が本町八坂神社の神輿、
右が湊町八剱神社の神輿。

神輿自体が神社そのものという扱い。




左側奥から
意富比神社の拝殿・本殿が見えた。




猿田彦大神だけが石碑、というのも
見たことがある。





境内社『船玉神社』。











境内社『大鳥神社』。
通称、船橋のお酉様。

祭神はヤマトタケルだが、
「大鳥(オオトリ)(鷲)」の社名から
推測すると、阿波忌部の祖
『天日鷲命』だった可能性がある。

この神社の祭神も、
後世にヤマトタケルに塗り替えられた
のだろうか。

例えば、
浅草の『鷲(おおとり)神社』の祭神は
天日鷲命とヤマトタケルだが、
社伝では↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
元々祭祀されていた天日鷲命の神社に、
後年、
ヤマトタケルが東国遠征の際に戦勝を祈願し、
凱旋してから社前に熊手をかけて
戦勝を祝いお礼参りをした。
その日が11月の酉の日だったことから、
鷲神社の祭日となった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
というように、
天日鷲命を祭祀する神社に
参拝したヤマトタケルが祭神となった
パターンだと推察できる。

元々の祭神がヤマトタケルなのであれば
『白鳥神社』の方がしっくりくる。

※浅草の鷲神社↑



千葉県はもちろん、関東地方には、
忌部の痕跡が多く残っているのである。



龍の彫刻がかっこよし。


横から。千木は男千木。



本殿の右側の鳥居。
扁額は『常磐神社』。






境内社『常磐神社』。
祭神 日本武尊 徳川家康公 徳川秀忠公

豪華絢爛である。

徳川家康ゆかりの神社。


以下、ホームページより↓
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近世に入ると江戸に移った徳川家康公は
翌年、天正19年(1591)に
領地内の有力寺社に寄進をし、
船橋神明にも五十石の土地を寄進しました。
裕福な農家5軒分ほどの耕地です。

以後、幕末まで当社は
将軍家とのつながりを持ち、
本殿の右奥に家康公・秀忠公等を祭る
常磐神社が建てられました。

また江戸中期以降は
「関東一之宮」を自称したため、
伊勢神宮と紛議になったこともあります。
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灯明台(千葉県有形民俗文化財)。







『天御柱宮』。


左が『豊受姫神社(外宮)』。
右が『八雲神社』。






『歯固め石』。





神楽殿。



境内図。


神紋は太陽そのもの。





見所が多い神社。

たっぷり時間をかけて巡るのが吉(笑)。



冬晴れのすこやかな日。

この後、気持ちよく仕事を終えたワタシは
さらに千葉県を散策することにした。

つづく。

ではまた❗







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