↑のつづき。


さて、台風の影響で

雨風が強くなってきた8月31日。


朝の散歩でもしようと、徳島駅の目の前の

徳島城に行ってみることにした。


この日のテーマは

『近場で巡る豊玉姫の軌跡』である。



立派な石垣を眺めるカラス。


『竜王さんのクス』と猫さん。

樹齢約600年のクスノキ。

竜王とは、
かつて、この付近に鎮座していた
竜王神社』からとったものだ。

明治8年、徳島城取り壊しの際に、
眉山麓の国瑞彦神社に合祀された。



徳島公園内の城山山頂、
徳島城本丸跡地に鎮座する
『清玄坊神社』。

山頂には元々『天石門別豊玉龍王宮』が
鎮座していた。

それを守っていたのが『清玄坊』である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
豊臣秀吉に仕えた大名の息子
蜂須賀家政が阿波に入国した際に
城を建てることにし、
山頂の竜王宮の立ち退きを命じた。

それを頑なに拒否した清玄坊は、
ある日弓矢で射殺されてしまう。

そして築城後、清玄坊の首が飛び回り
藩主は病になるという祟りが起きた。

清玄坊の祟りを鎮める為に
天石門別豊玉龍王宮を再建したことで
祟りはなくなったのだそうな。

命をかけ、亡くなった後も
豊玉姫を守った清玄坊さまのお話。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

続いて眉山の麓へ。

八幡神社のすぐ隣にその神社はあった。


『国瑞彦神社』。

徳島藩歴代藩主を祀る。

徳島城取り壊しとともに
天石門別豊玉龍王宮が遷された神社。

その後、現在は同じく眉山麓の
春日神社境内に遷されたのだ。

竜王山から徐々に降りてきた
天石門別豊玉姫は、
延喜式内社の中でも
全国で一社しかない阿波の大女王である。




そして翌日8月31日。

台風は弱まっていき、
やがて熱帯低気圧へと変わっていった。

奇跡的に徳島は晴れ☀

ということで、
行ってみたかった徳島南部の
海部(かいふ)郡海陽町へ。


和奈佐意富曽(わなさおおそ)神社』。

ちなみに、
⛩️島根県松江市東忌部町に
鎮座するのは『忌部神社』。
祭神は『天太玉命』。

⛩️島根県松江市宍道町上来待和名佐に
鎮座するのは『和名佐(わなさ)神社』。
祭神は和名佐比古命(ワナサヒコ)。

⛩️島根県雲南市大東町に鎮座する
『船林神社』の祭神は
阿波枳閉委奈比古命(アワキヘワナサヒコ)』。

神名の意味は
「阿波から来たワナサヒコ神」❗

そして上記三社の神社すべてに、
境内には阿波特有の『地神塚』がある❗


※阿波の地神塚


さらに、
丹後国風土記の天女伝説に登場する
和奈佐(わなさ)の老夫婦のルーツは
ここです❗

ちなみに、丹後半島の神社にも地神塚がある。

丹後国一宮の神官を代々務めるのは
海部氏』。

この地域は『海部郡』なんですよ皆さん❗

この周辺を本拠地とした一族が、
島根出雲経由で丹後半島に入った
阿波出身の海人族だという証拠なのでは
なかろうか。



続いては↓

『那佐神社』へ。

二子島の祭祀を引き継ぐ。


那佐湾。

なんとなく沖縄を感じる景色。

地図上で見ると↓
ピン留めは那佐神社。

この半島の形はまさに『粟の穂』。

古事記で伊耶那岐神・伊耶那美神が
最初に生んだ
『淡道之穂之狭別島』って本当は
淡路国ではなく、ここだったりするのでは…


那佐湾の奥まったところに浮かぶ
二つ並びの島『二子島』。

なんと、金の鶏が降り立ったという
伝承が遺されている。


続いて『宍喰八坂神社』。

まるで教会のような造り。

7月16日と7月17日の宍喰祇園祭は、
京都の八坂神社、
広島県福山市の沼名前神社とともに
日本三祇園のひとつとされている。

沼名前神社は鞆の浦に鎮座しているが、
宍喰八坂神社の近くにも
鞆浦という地名がある不思議。

そして、7月17日。

金の鶏に関係がある。


そしてさらに西へ進み、
高知県との県境にある『竹ヶ島』へ。



『竹島神社』。



ご祭神に注目。

大黒様ヱビス様

竹ヶ島の周辺にも、
金の鶏に纏わる言い伝えが残されている。

神社に安置された神輿には↓
金の鶏が乗っているのだ❗


お隣の高知県東洋町側の熊野神社でも
金の鶏がご神体として祀られている。

さらに、
金の鶏の伝承は剣山付近にも存在する。

また、剣山付近の祖谷地方の歌↓

ヱビス大黒 積みや降ろした」 


暗号だらけの歌🤣


海陽町に隣接する牟岐町には
蛭子神社が点在する。

そして、その隣の美波町には↓





恵比須洞神社』❗


恵比須洞』❗


ヱビス様(事代主❓️)と
大黒様(大国主❓️)の一団(七福神❓️)は
何処からか
宝船で阿波国南部に降り立ったのだ。

乗せてきた宝の箱の上には、
神輿のように金の鶏(天使)
乗っていたのかもしれない。


 

 

7月17日は、

祇園祭とシオン祭と剣山の大祭が

同時におこなわれる日。


その始まりがここだったのだとしたら…



都市伝説みたいになっちゃったけど、

ロマンがありますね~🤣



まあ現実的な話をすると、

海陽町大里では総数が70,088枚もある

古銭が見つかっており、

そのほとんどが外来のもの。


海陽町野江の芝遺跡で見つかった

土器の多くは、海陽町外で作られたもの。


海陽町を知っている方は、

田舎を想像していると思うが、

古代は海洋交易が盛んな

大都会だった可能性が高い。


最近では、海陽町多良地区にて

全長50mの前方後円墳1基を含む

全5基の古墳が確認された。


時期は古墳時代前期。


四国の前方後円墳の空白だった地域で

発見された古墳とあって、

学術的価値が極めて高いと評価されて

大注目の地域、

それが海陽町なのである❗



ロマンがとまりません(^ー^)


行く価値あり❗




そして9月1日。


無事、沖縄に帰ることが出来そうだ。



びっくりするくらいの晴天。

徳島市の象徴 眉山の圧倒的な存在感。


最後に眉山麓の
天石門別豊玉比売神社にご挨拶した。

2023年2月以来の参拝。

冬とは赴きが全然違った。


阿波徳島のすべてに感謝致します。

今回の旅では、台風に振り回されながらも
一生の思い出に残る素晴らしいことが
沢山あった。


阿波古代史への風当たりは
まだまだ強いとは思う。

しかし、古事記の世界が
こんなにも点ではなく線で繋がる場所は
他に無いのではなかろうか。

可能な限り、面白いものを見つけて
お世話になった阿波の皆様に
恩返しがしたいと思います。


最後に、今読んでいる書籍の話を。


 

 

↑の書籍より。


阿波古代史のバイブル

『道は阿波より始まる』の著者

岩利大閑氏は国史研究の家系で生まれた。


また、氏とその祖母について

こう記されている。


※以下、抜粋↓

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

氏は少年期、旧制中学時代までは、

母方の祖母 山内トモと過ごすことが多く

毎夜、祖母が話す昔話が大好きだった。


祖母の昔話は、阿波の話、淡路の話、

土佐、近江大津、京など多種に渡った。


その中で、耳に焼き付いている言葉があった。


「昔の人はな、

『阿波で千年、京で千年』というんでよ。

『阿波で千年、京で千年』

 というんでよ。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



皆さん、騙されたと思って

一度阿波徳島に行って見てください。



きっと、ステキな出来事が

あなたを待っているから。





サヨナラ徳島。


またいつか✋





つづくじょ。



ではまた❗






~おまけ~


どうやら、

ヤマモトタケルノミコトさんの計らいで

阿波ヤマト財団の公式Instagramに

就任させて頂いたようです(笑)


阿波古代史をテーマにした漫画を

描いておりますのでご興味があればどうぞ↓





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