↑のつづき。

さて、
相変わらず台風がどうなるかわからぬ
8月28日。



朝は晴れていた為、
予定どおり仕事をこなし、
終わってからレンタカーで冒険の旅へ。


向かったのは神山町阿野。

鮎喰川の美しいこと。

途中には『須賀(すが)』の地名があり、
その名の通り「すがすがしい」。

阿波古代史においては、
八岐大蛇は『吉野川説』と『鮎喰川説』が
存在するのだ。


『松尾神社』。

素晴らしいのひとこと。

なんと、全国の松尾社の元宮説がある。


そして、同じく神山町鬼籠野元山へ。


昨年は大寒波の大雪で
行くことが叶わなかった
『天岩戸立岩神社』。

悲願の参拝である。

風の神が祀られている。


台風をどうにかして欲しいと思ったが、
自分本意な願い事は失礼に当たるかなぁ
と思って、ご挨拶だけにしておいた。

写真では全く伝わらない圧倒的存在感。

天照大御神が籠った天岩戸。

地名の『鬼籠野(おろの)』に相応しく
(鬼道の卑弥呼)のった」岩。
鬼籠地(オロチ)の説もあり


また、鬼籠野『元山』の地名は、
阿波国風土記逸文にある通り。





続いて、佐那河内(さなごうち)村へ。

煙り沸き立つ山々と、
遠くに見る棚田が美しい。


途中の山道で鹿を見た❗

天岩戸神事では、
天ノ香具山の真男鹿の骨を用いていた。




この石段がたまりません。



『天岩戸別神社』。

本当にスゴい神社だった。




社殿の脇からさらに登ると
『手力男神(タヂカラヲ)の塚』。

かつて、
この佐那河内村は
佐那県(サナノアガタ)』と呼ばれていた。

古事記や先代旧事本紀には
「手力男神は佐那県に坐す」
と記されている。




続いても佐那河内村。

『嵯峨天一神社』。

元伊勢の伝承がある。

祭神は
『天照大神』『月讀命』『大白星神』。

なんとも興味深い。

鳥居から見る稲穂。






そして、徳島市飯谷町へ。


山を登ってまた登る。



山頂付近の式内社『朝立彦神社』。



壮大なる阿波徳島。


そして、山を降りて勝浦町へ。




やっとこれた『生夷(いくい)神社』。

式内社『事代主神社』であり、
元々の地名は
「夷(エビス)の生まれた地」を意味する
『生比奈(いくひな)村』である。



昨日に引き続き内容の濃い
充実した一日となった。


途中の天候は晴れたり大雨になったりと
安定しなかった。

翌日はさらに台風の影響が予測された為、
近場で楽しもうと思った。

遠出をしなくても天気が悪くても
十二分に楽しめるのが阿波徳島なのだ。



そんなわけで翌日の8月29日。

雨風が強くなってきたので、
無理せず徳島市周辺を散策。


応神町の『高良(こうら)神社』。

祭神は『武内宿禰』。

応神天皇を補佐し、
応神天皇の本当の父親との説もある。




同じく応神町の『別宮八幡神社』

祭神は『品陀和気命(応神天皇)』。


立派なクスノキは徳島市指定天然記念物。


ここは旧応神村。

南方の徳島県徳島市加茂名町海ノ宮には
八幡神社』が鎮座していた。
↑※『産八幡神社』。


続いて、徳島市から板野郡板野町に移動。

式内社『岡上(おかのうえ)神社』。

祭神『豊受姫命』。

岡上」の読みは本来的は
おかのかみ」⇒「ウカの神」の説あり。


境内の『岡の宮の大クス』。
県指定天然記念物。

ここのクスノキもスゴかった。



続いて、板野郡上板町へ。


国史見在社『葦稲葉神社』。

合祀された『鹿江比賣神社』は式内社論社。

鎮座地は大山の麓の上板町神宅


神社付近の『大山寺』の石碑。

鹿江比賣大山祇神の后とも云われる。


そして、今度は名西郡石井町へ。

『白鳥神社』。

祭神『日本武尊(ヤマトタケル)』。

亡くなった日本武尊が白鳥となって
この地に舞い降りたという伝承がある。




お昼ご飯は、すぐ近くのお店で。

『そば米汁セット』。

美味しかった。


この日最後は徳島市国府町和田


最後は『西宮神社』。

式内社『和多津美豊玉比売神社』論社。

すぐ近くには同じく論社の
『王子和多津美神社』も鎮座する↓



和田(ワダ)」の地名は、
海神(ワタツミ)』の名残である。

『豊玉比売』の名を関する式内社は、
阿波にしか存在しないのですよ皆さん❗


そして、雨風にさらされた身体を癒しに
徳島天然温泉『あらたえの湯』へ。
昨年の冬に行ってから、大のお気に入り。

最高のお湯でした❗



さてさて、雨風はさらに強くなってきた。

次回は8月30日の出来事から。

つづく。

ではまた❗








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