第三章
百襲姫命と淡路島
~実は深くつながっていた、モモソヒメと母系と東瀬戸内の前線としての淡路島~
百襲姫命と淡路島。
この二つが深くつながっている、と聞いて、すぐにぴんと来る人は百襲姫マニア以外あまりいないと思います。笑
倭迹迹日百襲姫命といえば、まず思い浮かぶのは箸墓古墳。
纒向。
大和。
そして、巨大な王権祭祀の中心にいた巫で女王のような姿です。
だから、そこに突然「淡路島」が出てくると、少し不思議に見えます。
けれども、実はここにかなり大きな話が隠れているのではないか、と私は思っています。
一般にはあまり知られていませんが、百襲姫命の母をたどっていくと、その先に淡路島の王族が現れます。
倭国香媛(意富夜麻登玖邇阿礼比売命、絙某姉、蠅伊呂泥)です。
その父(モモソヒメの祖父)は和知津見命と呼ばれ、淡路に宮を構えた海神系の王族と言われています。
その淡路島、古事記の神話で初めに生まれた島と言われますが、その通り、ただの島ではない。

【写真1】播磨灘とその周縁の遺跡
東瀬戸内海のなかで、驚くほど重要な位置にいた島なのです。
つまり、百襲姫命と淡路島の関係は、単に後から付けられた飾りではないかもしれない。
もっと古い海上秩序や婚姻ネットワークの記憶を残している可能性がある。
今回はまず、その話をしてみたいと思います。
淡路島が、ただの島だと思ってる方はいないと思いますが、
その通り、瀬戸内海に横たわる最大の島です。
それだけでも十分に特別ですが、本当に大事なのは大きさより位置です。

【図1】淡路島は3つの海峡に接しています
この島は、北で播磨灘に開き、東で明石海峡をにらみ、南では鳴門海峡と紀伊水道に接しています。
つまり見方によっては、明石海峡、鳴門海峡、そして紀淡海峡へ向かう三つの重要ラインを押さえうる位置にある。
これはかなり重要です。
淡路島は、播磨、阿波、讃岐、紀伊水道方面をつなぐ海上結節点です。
言い換えれば、東瀬戸内海の交通と情報と物資の流れを切り替える前線です。
ここを通る舟。
ここで交わる海路。
ここから東西南北に見え、それぞれが異なる周辺の景色。
それをイメージすると、淡路島が東瀬戸内海で超重要であることは、むしろ当然と感じられるはずです。

【写真1】淡路島は、明石海峡・鳴門海峡・紀淡海峡へ向かう三つの重要ラインをにらむ海上結節点
しかも淡路には、ただの集落ではない弥生後期の遺跡がある
淡路島北部にある二つの弥生後期遺跡、
五斗長垣内遺跡と舟木遺跡です。
この二つは、淡路島を理解するうえで本当に大事な遺跡です。
まず五斗長垣内遺跡。
これは淡路島北部の丘陵上に営まれた、弥生後期の鉄器生産村です。
発掘では二十三棟の竪穴建物跡が見つかり、そのうち十二棟で鉄器づくりが行われていたことがわかっています。
つまりここでは、鉄が少し持ち込まれたのではなく、継続的に鉄を加工し、供給する大きな拠点が存在していたのです。
淡路島がただの通過点ではなく、鉄を生み出す前線だったことを示す、非常に重い遺跡です。

【写真2】五斗長垣内遺跡から西の播磨灘を望む

【写真3】五斗長垣内遺跡。大型竪穴式円形建物の中は、弥生後期の鉄器生産工房
現地の資料館の説明では、朝鮮半島との関係も強かったとありました。おそらく当時の倭人圏であった伽耶諸国や鉄鉱石の取れる半島西南部だと思います。
そして、ここ数年の継続した発掘調査で遺跡の意味付けが変わってきているのがその北方の舟木遺跡です。
私はこの遺跡の規模を見るたびに、ただの山間地集落ではないと思っています。
むしろ、山上の王城のような中枢拠点。
舟木遺跡は、弥生時代後期全体にわたり標高一五〇から二〇〇メートルの丘陵上に広がる大規模遺跡で、鍛冶工房を含む多数の建物跡が確認されています。
その領域は五斗長垣内遺跡の六倍とも言われている。
出土した鉄器も非常に多く、ヤス、釣針、鏃など、海と陸の両方に関わる多様な器種が含まれます。
さらに、中央の尾根上では巨石祭祀遺構が現在まで舟木石上神社として古来から祭祀(女人禁制)が継続している。祭神は古代から続くものかどうかは不明ですが、周辺には八坂神社も存在しています。
鉄を作る。海とつながる。しかも巨石を祀る。
つまりここは、ただ海で塩を作って魚をとって生活する場所ではない。
工房であり、海上拠点であり、祭祀の場でもある。
しかも高所にあって周囲を見渡せる。


【写真4/5】舟木石上神社巨石祭祀跡(女人禁制)

【写真5】舟木遺跡の中央部にある池と巨石

【写真6】舟木遺跡の中央部の白色礫岩、山上ですが丸い小石もありました
なので私は、舟木遺跡をただの工房村でもなく、どうも王権成立前夜の重要な氏族(大田田根子系?)が押さえていた山上の宮、城的拠点として見ています。
ちなみに、住吉大社神代記(住吉大社所蔵の神宝、重要文化財)には、船木(舟木)氏の祖先系譜として「船木等本記」という部分があり、そこに大田田命(おおたたのみこと)とその子孫の記述があります。
そして、この淡路の舟木の地の南側に隣接する地区は太田とよび、今も存在していますが偶然でしょうか?

【写真7】「舟木遺跡。工房・祭祀・広域交流が重なる、淡路北部の山上中枢拠点だったが、今は山上盆地の田園風景

【図2】五斗長垣内遺跡と舟木遺跡の位置関係図、淡路北部丘陵帯に並ぶ二大中核遺跡。五斗長垣内は鉄器生産村、舟木は山上中枢拠点として読める
この二つを並べてみると、淡路島の姿がかなりはっきりしてきます。
海辺の漁村が点在するだけの島ではない。
丘陵上に高度な工房性と交流性を持つ拠点が置かれ、その背後に海上交通と広域ネットワークがあった島です。
しかも海辺では、富島や貴船神社遺跡などで製塩も始まっていく。
つまり淡路は、鉄と塩を同時に持つ島でもあった。
鉄も重要。
塩も重要。
しかも三つの海峡をにらむ。
これで重要でないはずがありません。


【写真8】淡路島では、丘陵上の鉄器生産と海浜部の製塩とが並行して立ち上がっていた
さらに淡路は、東瀬戸内の内輪だけで閉じていません。

【写真9】松帆銅鐸
弥生中期初頭といわれる最古級の松帆銅鐸は、荒神谷や加茂岩倉の銅鐸と同笵関係を持つとされます。
つまり淡路は、出雲を含む日本海側の祭祀財ネットワークともつながっていた可能性が高い。
ここまで来ると、淡路島はもう「国生みの神話の舞台」というだけではありません。
日本海側の技術や祭祀財を受けとめ、東瀬戸内海へ向けて組み替える再編拠点に見えてきます。

【図4】同笵関係説明図 淡路は出雲系祭祀財ネットワークの一角でもあった可能性がある。
そんな淡路が、百襲姫命の母系に現れる
ここで、ようやく百襲姫命の話に戻ります。
『古事記』をたどると、百襲姫命の母系の奥に海神と皇統の流れをもつ和知津見命が現れます。
この和知津見命について、『古事記』は
「淡道之御井宮に坐しき」
と記しています。
つまり、淡路に住んだ王族として、はっきり置いているのです。
しかも和知津見命の娘たちは、孝霊天皇の后となり、その系譜の先に百襲姫命や吉備津彦命が現れる。
ここで初めて、百襲姫命の母系に淡路島が出てくる意味が見えてきます。
淡路はただの海上拠点ではない。
王族記憶を持つ島でもあるのです。
ここで一つ大事なことがあります。
百襲姫命と、桃太郎のモデルとも言われる吉備津彦命は、同じ父母を持つ同母同父の兄妹です。
それならば、二人の背後にある血筋的な基盤も、政治的な背景も、本来はかなりの部分で共有されていたはずです。
つまり百襲姫命だけを大和の巫女王として切り離して見るのではなく、
吉備津彦だけを鬼退治の英雄として切り離して見るのでもなく、
このモモ姉弟の背後に何があったかを考える必要がある。
私は、その最初期の背景の一つに、淡路島があった可能性が高いと思っています。
淡路は、三つの海峡をにらむ海上結節点です。
弥生後期の鉄器工房がある。
播磨経由で日本海側とのつながりがあったことは銅鐸も鉄器も示している。
塩がある。
海人がいた。
出雲系祭祀財ネットワークと大田田命の痕跡もある。
和知津見命という淡路在住王族の記憶まである。
このような機能と始祖的記憶を持つ島が、母系の背景にある。
これは決して軽い話ではありません。
さらにその先には、辰砂鉱山を持ち、内海と太平洋、さらに伊勢・東海方面へも接続しうる阿波の問題があります。
この点はまた別の章で考えますが、少なくとも百襲姫命と吉備津彦命は、大和だけの兄妹ではなく、淡路と阿波という東瀬戸内海の重要基盤を背後に持つ姫と彦として見たほうが、ずっと実像に近いのではないかと思います。
モモ姉弟は、なぜ強かったのか
百襲姫命が纒向で最大級の崇拝を受ける巫女だったというのは、おそらく最後に見える完成図です。
けれども、その完成図に至るまでには、東瀬戸内世界の中で名声を高めていく過程があったはずです。
吉備を含めた広域の世界で、人々の記憶に残るだけの事績を積んでいった段階があったはずです。
その背景には、弟たちの武勇もあったでしょう。
吉備津彦には、吉備でもう一人の弟とともに温羅という鬼を退治して平定した、いわゆる鬼退治伝説があります。
けれども、武勇だけでは広域秩序は作れません。
舟がいる。
兵站がいる。
物資がいる。
海上交通を押さえる力がいる。
各地を結ぶ海人ネットワークがいる。
だから私は、こう考えてみたいのです。
モモ姉弟が強かったのは、バックに淡路島がついていたからではないか。
淡路という海上前線。
その背後の海人一族。
さらに阿波という資源と流域交通の基盤。
この二つを背景に持っていたからこそ、百襲姫命は祭祀権威を高め、吉備津彦命は武勇を実際の力として機能させることができた。
そう考えると、百襲姫命と淡路島の関係は、単なる系譜上の飾りではない。
むしろ、彼女が後に纒向で巨大な崇拝を受けるに至る、その前段階の現実的な力の源を示しているのかもしれません。
淡路は、国生みの島だから重要なのではない。
東瀬戸内海の前線として、人、技術、祭祀、海路、そして王族婚姻の結節点だったからこそ、後に最初にここに拠点を張った始祖の国生みの島として語り継がれた。
そう理解したいかなま。
参考文献・参考資料
・『史跡舟木遺跡保存活用計画』
著者・発行主体:淡路市
URL:https://www.city.awaji.lg.jp/soshiki/shakai/44401.html
※舟木遺跡の保存活用計画本体ページ。掲載日は2023年12月26日更新。
・『史跡舟木遺跡保存活用計画 概要版』
著者・発行主体:淡路市
URL:https://www.city.awaji.lg.jp/soshiki/shakai/50246.html
概要版PDF:https://www.city.awaji.lg.jp/uploaded/attachment/36897.pdf
・『舟木遺跡』
著者・発行主体:淡路市社会教育課
URL:https://www.city.awaji.lg.jp/soshiki/shakai/48179.html
※舟木遺跡の概要、規模、拠点性の確認用。
・『舟木遺跡出土品』
著者・発行主体:淡路市社会教育課
URL:https://www.city.awaji.lg.jp/soshiki/shakai/48295.html
※鉄器、祭祀遺構、出土品構成の確認用。
・『広報淡路 令和2年12月号 No.189』
著者・発行主体:淡路市
URL:https://www.city.awaji.lg.jp/site/kouhou/30424.html
※舟木遺跡発掘調査事業、約40ヘクタール規模、現在も調査が進行中であることの確認用。
・『五斗長垣内遺跡発掘調査報告書について』
著者・発行主体:淡路市社会教育課
URL:https://www.city.awaji.lg.jp/soshiki/shakai/30735.html
※発掘調査報告書公開ページ。23棟の竪穴建物跡、うち12棟の鍛冶工房跡、国史跡指定の確認用。
・『五斗長垣内遺跡』
著者・発行主体:淡路市社会教育課
URL:https://www.city.awaji.lg.jp/soshiki/shakai/35134.html
※五斗長垣内遺跡の概要確認用。第三章での位置づけ整理に使用。
・『淡路島の弥生遺跡の動態と舟木遺跡』
著者・発行主体:淡路市(掲載PDF)
URL:https://www.city.awaji.lg.jp/uploaded/life/28635_72385_misc.pdf
・『第Ⅱ章 遺跡の環境』
著者・発行主体:淡路市(舟木遺跡関連PDF)
URL:https://www.city.awaji.lg.jp/uploaded/life/50942_166540_misc.pdf
・『松帆銅鐸同笵関係の調査成果について』
著者:難波洋三(奈良文化財研究所客員研究員)
発行主体:南あわじ市
URL:https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/uploaded/attachment/300999.pdf
※松帆銅鐸と加茂岩倉27号銅鐸、荒神谷6号銅鐸の同笵関係確認用。本文中に難波洋三氏名が明記されています。
・『伊弉諾神宮』
著者・発行主体:淡路島観光協会(淡路島観光ガイド)
URL:https://www.awajishima-kanko.jp/manual/detail.html?bid=448
・『大和大国魂神社』
著者・発行主体:淡路島観光協会(淡路島観光ガイド)
URL:https://www.awajishima-kanko.jp/manual/detail.html?bid=111
・『兵庫県神社庁 大和大国魂神社』
著者・発行主体:兵庫県神社庁
URL:https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6329021.html
※本稿では、淡路市・南あわじ市の公的資料、発掘調査報告書、保存活用計画、ならびに神社・文化財の公式公開情報をもとに考察した。