↑のつづき。
さて、二つの伊豫神社を後にして
徒歩15分。
『惠依彌(えひめ)二名神社』である。
つまりは、
「伊予二名島」を象徴する。
『惠依彌二名(えひめふたな)神社』
鎮座地 愛媛県伊予郡松前町大字出作
創建 景行天皇の御代
祭神 惠日売命(えひめのみこと)
配神 伊予津彦命 伊予津姫命
愛媛県神社庁によると↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神社の創設は古く、
景行天皇(西暦71年即位)の御代と伝えられ、
伊予の古宮として伊予二名本宮と称していた。
その後、伊予大社五大社大明神と称し
現在地の北方約100mに鎮座されていたが、
慶長5年(1600年)の兵火により
社殿等が焼失した。
その6年後、
時の松山藩主加藤嘉明公の命により再興され、
恵日売命外十六柱が祀られており、
元禄から享和の頃(1700~1800年頃)には、
八幡様として崇敬された。
現存する最古の棟札には、
「寛文3年(1663年)惠依彌二名本宮」とあり、
明治29年(1896年)に現社名に改称された。
また、古書によると、
「畳8畳が敷けるような楠が茂り‥‥」とあり、
松山城の建築材にも使われたという。
同社の近くから出土した
弥生時代の石剣、玉、鏡、壷型土器を
社宝としている。
現在の社殿は、平成11年(1999年)に
伊豫豆比古命神社(椿神社)の
旧社務所を移築したものである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
西日本最高峰の山は愛媛県にある。
※ちなみに二番目が剣山。
スクナビコナの話をもう少しだけ。
農業・酒造・医薬・温泉の神である
『スクナビコナ』。
大国主の葦原中ツ国の国士経営を手伝った後、
『伯耆(ほうき)国』の
粟茎(あわがら)に弾かれて
淡島(アワシマ)より
常世国に至ったとも云われている。
伯耆国は
一般的には現在の鳥取県。
その国名の由来は、
稲田姫を八岐大蛇が喰らおうとしたため、
山へ逃げ込み、その時母が遅れてきたので
姫が「母来ませ母来ませ」と言ったことから
「母来(ハハキ)」⇒ホウキとなった。
そして、
阿波説では八岐大蛇は、
三大暴れ川のひとつ『吉野川』を意味する↓
吉野川の川幅が狭くなっている『岩津』。
岩津の南にある『高越山』は、
役小角や空海も足を踏み入れた聖地。
その山頂付近には、
「イザナミが眠っている」と言われる。
江戸時代の阿波の歴史書「阿府志」には↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
式内社伊射奈美神社は、
「美馬郡拝村山之絶頂アリ俗ニ高越大権現」
祭神一座 伊射奈美尊
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と記載されている。
「伯耆」は現在の美馬市。
美馬市に鎮座する『伊射奈美神社』は、
イザナミの墓領の拝所であり、
全国唯一、「イザナミ」を冠する
延喜式内社なのである。
※伊射奈美神社は、この数日後に参拝した。
そのうち記事にします(^ー^)
そこから吉野川を東に行くとすぐ、
国内最大級の川中島『善入寺島』がある↓
『善入寺島』の元の名は
『粟島(アワシマ)』❗
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
スクナビコナは、
『伯耆(ほうき)国』の
粟茎(あわがら)に弾かれて
淡島(アワシマ)より
常世国に至ったとも云われている
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これは、
阿波の伯耆の
『粟島(アワシマ)』から
常世(ヨの国)(愛媛県)に至った
と、いう意味だったのである。
だから、松山の道後温泉にきたのだ。
だから、「逆さ狛犬」なのだ。
スクナビコナは『アワシマ』にいた。
もちろん、大国主も。
なぜ、大国主がアワシマに居たか
わかるかというと、
ちゃんと系図を見てみるとわかる。
後日しっかり記事にしたいところだが、
阿波説では、とうに答えは出ている。
アワシマ(善入寺島)に鎮座していた
浮島八幡神社は、
明治政府により爆破された。
浮島八幡神社の祭神は、
阿波忌部の祖『天日鷲命』。
このお方こそ、当時の…
『大国主命』だったんですよ皆さん❗
ヒントは、
カモの祖と八咫烏ですね(^ー^)
つづく。
ではまた❗
人気ブログランキング