↑のつづき。

さて、この日は栃木県宇都宮市でのお仕事。

あまり時間はなかったが、
街中を歩いている道中に
神社を発見したので
お昼休憩に参拝することにした。



大通りにこんな立派な神社があるとは…

二荒山(ふたあらやま)神社である。

立派な大鳥居。




境内の地図。

さすが、一之宮。

広い。
7000坪もあるらしい。




石段は95段。



神門。


手水舎。



拝殿。

式内社名神大社 下野国一之宮
『宇都宮二荒山神社』

鎮座地 栃木県宇都宮市馬場通り
創建 第十代崇神天皇の御代
祭神 豊城入彦命(トヨキイリヒコ)
相殿 大物主命 事代主命


栃木県内唯一の名神大社として
「お明神さま」「ふたあらさん」の名で
広く親しまれ、篤く崇められてきた。


ホームページによると、
元々は、現在社殿のある臼ヶ峰(標高130m)と
その南方にあった小寺峰の二峰を持った
小高い荒山だった。
※だから二荒山なのだろうか。


瓢箪の形の墳墓だったとする説もある。


江戸時代に街の割替えが行われ、
山は二分され真中に道路が設けられて、
小寺峰は次第に削られ、
その後、原形を失い、臼ヶ峰のみが残った。




祭神の豊城入彦命は崇神天皇のの第一皇子。
弟の活目尊(いくめのみこと)のどちらを
皇嗣とするかの夢占いがなされ、
活目尊(垂仁天皇)が皇太子となり、
豊城入彦命は
毛野国(現在の栃木県・群馬県)を開拓した。



後の
 第十六代仁徳天皇の御代に
毛野国が上下の二国に分けられ、
四世の孫の奈良別君(ならわけのきみ)が
下毛野国の国造に任ぜられた。
祖神である豊城入彦命の偉業を偲び
御神霊を荒尾崎(現在の下之宮)の地に祀り、
国土開拓の大物主命と事代主命を
合わせて祀ることになったのだそうな。


立派な社殿だが、幾度となく火災にあい、
古い記録などはほとんど焼失してしまった。

もったいねー。



横から本殿。



本殿のすぐ左側に『女体宮』

祭神 三穂津姫命

生産と出産の女神。




境内社も、てんこもり。

『初辰稲荷神社』


『十社』
県内延喜式内社の合祀。




本殿右側には、特別感のある社殿。


『須賀神社(お天王さん)』
祭神 素戔嗚尊

『市神社(商売の神)』
祭神 大市姫命



この狛犬は、2023年に参拝した神社で
トップクラスに好き(笑)

表情サイコー。

沖縄で、こんな顔のシーサー見たことある。



斜めから見ても良い。




神楽殿。



先ほどの神門をくぐる。

石段の途中にも境内社がある。
『剣宮(武徳の神)』
『十二社(肇国の神)』
『菅原神社(学問の神)』




『松尾神社(醸造の神)』
『荒神社(疫病鎮めの神』
『水神社(水の守神)』



思わぬところで、一之宮を参拝できた。

宇都宮二荒山神社の正式名称は
『二荒山神社』だが、
もうひとつの下野国一宮
『日光二荒山神社』と区別するために
こう呼ばれている。



実際に二荒山神社に参拝出来るとは
思わなんだ。

栃木県の「宇都宮」と「日光」に
二荒山神社があることから、
宇都宮は「太陽神ウツの宮だ❗」などと
テキトーなことを書いてしまったが、

「光」が重要なキーワードなのは
どうやら本当のようだ。

☀️宇都宮の由来

「二荒山神社」の別号
「宇津宮大明神」に由来する説の他、
「現の宮」「遷しの宮」「討つの宮」など
諸説あり。

また、
「宇」とは「宇宙」「太陽」の意味で
「卯」つまり、太陽が昇る方角の
「東」を意味するという説もある。
※日光東照宮は有名ですね。


つまり、
「宇(太陽)」の「都(みやこ)」の「宮(宮殿)」。

さらに、宇都宮市は、
平野部と山岳部が交錯する地形を持ち、
特に西部には山岳地帯が広がり、
これが気流の乱れを引き起こす。
また、夏季は湿度が高く、
気温の変動が激しいために、
雷が発生しやすい地域なのである⚡

そのために、こうも呼ばれる。

雷都(らいと)』❗


ライト(光)ってことですね。



「えー⁉️」



ちなみに、
『日光(にっこう)』も鎌倉時代以前には
「二荒」の漢字が当てられており、
「日光」の字に変えたのは
弘法大師空海さんだという
言い伝えも残されている。

また、日光には古くから
山岳信仰の対象である「男体山」がある。
この山は昔、
観音菩薩が降り立った
インドの山「ポータラカ」を音訳した
「補陀落山(ふだらくさん)」と呼ばれていた。
補陀洛山は後に訛っていき
「二荒山(ふたらさん)」となった…
と、いう説など地名ひとつとっても
面白説の宝庫なのが、栃木県なのである。





では最後にとんでもない話を。


平安時代までは、宇都宮は
宇豆宮」と書かれていたらしい。


宇豆宮(ウズのみや)』とも読める。


ウズと言えば、鳴門の大渦。

古代、その辺りを任されていたのが、
『珍彦(ウズヒコ)』。


この下野国を開拓したのは
崇神天皇の皇子
『豊城入彦命』。

崇神天皇の母親である
伊香色謎命(イカガシコメ)』が
祀られている式内社は
阿波徳島にしか存在しない。

そして、伊香色謎命の両親の名は、
父『大綜杵命
母『高屋阿波良姫』。


つまり、下野国を開拓した
『豊城入彦命』は、

阿波からやってきたのですよ皆さん❗


お昼に食べた餃子美味しかった✌️


翌日は再び、神奈川県に参ります。



つづく。


ではまた❗




人気ブログランキング