↑のつづき。


さて、『石切剣箭神社 上之社』を後にして、
さらに歩を進める。



地名はいつしか、石切町⇒日下町へ。

徒歩20分。




鳥居が見えてきた。




『日下神社』
鎮座地 大阪府東大阪市日下町
創建 不詳
祭神 若日下部王


眩しい光が出迎えてくれた。


小さいが、独特な雰囲気のステキな神社。

ここ、なんか好きだ。


この日下(くさか)町は、生駒山の東側に位置する。

付近には、『神武天皇聖蹟碑』などが建ち、
神武東征ゆかりの地なのだ。

孔舎衙(くさか)』と名のつく学校等もあり、
日下町1丁目には、
かつて、『孔舎衛坂駅』があった。

神武天皇が生駒山の豪族『長髄彦』と
激戦を繰り広げた峠「孔舎衛坂」に比定される
尾根が近くにあるために
そう名付けられた。

元々は1914年(大正3年)7月17日
『日下駅』として開業。

ちなみに、参拝日は
2023年7月17日。

ただならぬご縁を感じる。

日下駅はその後、
1918年 尾駅に改称。
1940年 孔舎衛坂駅に改称。
1964年 新生駒トンネル開通の路線変更により廃止。

途中、「尾駅」になったことが興味深い。

「鷲」と言えば『天日命』。

『金鵄八咫烏』とも同一視されることがあり、
一説には『神武天皇』自身なのでは…

と、言われたりもする。

『天日鷲命』は阿波忌部氏の祖。


これもまた、
『阿波の痕跡』なのかもしれない。。




日下神社の祭神『若日下部王』は
別名『草香幡梭姫皇女(くさかのはたびひめ)。
仁徳天皇と髪長媛の子であり、
第21代雄略天皇の皇后。


「日下(くさか)」で思い浮かべるのは
『日下部(くさかべ)氏』。


新撰姓氏録では『日子湯支命』が
河内国神別の日下部氏の祖とされる。

古代日本の豪族で
穂積臣や采女臣、物部連らの祖ともされる。

そして、
ニギハヤヒの子である『ウマシマジ』の子。

つまり、ニギハヤヒの孫こそが
日下部の祖『日子湯支命』。


神名の「湯」は、「火」と「水」により
出来上がるもの。

「火水(カミ)」を表す言葉ともとれるため、
神事に関わっていた可能性がある。



また、浦島太郎のモデルの一人
丹後国風土記の『浦嶋子』は
丹後半島の海岸部を治めた『日下部首』の祖先。

さらに、日下部首を遡ると、
大祖『月読(ツクヨミ)』にたどり着く。


正史では出番の少ない『月読』に
子を残した記述はない。


しかし、『日下』のキーワードは
『ニギハヤヒ』
『物部氏』
『日下部氏』
『浦島太郎』

そして、
『月読』を結ぶことになるのは興味深い。


古事記では、月読は『夜の食国』を
治めるよう命じられている。

この「夜(ヨ)」は「予(ヨ)の国」
であるとする説がある。


つまり、伊予二名国(四国)の西方
『伊予の国』のことだ。



実際にホツマツタヱでは
『伊予二名国』を任されており、
『イヨツ姫』との間に
『イフキドヌシ』が産まれている。

愛媛県伊予市に鎮座する
『伊豫 (イヨ) 神社』には、
愛媛県の語源となる『愛比賣命』とともに
『月夜見尊』が祀られているのである。



そして、日下部の系譜には
『伊予国草部氏』がおり、
「日下部」と「月読」が
無関係ではないことが示唆されている。




また、

『物部氏』を丁寧にたどると
『忌部氏』に繋がることもまた、

『阿波の痕跡』と言えるのではなかろうか。








最後に、

この神社の存在を教えて頂いた
この場を借りて感謝申し上げます。




翌日は大阪での仕事。


その後に参拝した神社も
また素晴らしかった。



つづく。


ではまた❗




人気ブログランキング