↑のつづき。

さてさて、ソサノヲの悪行により、身の危険を感じ、そして心を痛めたアマテル大御神は、岩室に閉じ籠ってしまった。



重臣たちは、ソサノヲを取り押さえてアマテルのお戻りを願った。

しかし、それから何日経っても出てくる気配はない。

重臣たちは不安にかられていた。

アマテル不在の中、国政をどうするかの術を持ち合わせていない重臣たち。

思えば、人々は、平和の世に慣れてしまっていたのである。

アマテルが隠れてしまったことで、まるでこの世が暗闇に包まれてしまったように感じたのだそうな。


一方その頃、中央政権から退き、妻『ワカ姫ヒルコ』と共に、近江多賀宮で余生を過ごしていた『オモイカネ』は、人々の様から異変に気づき、イサワの宮へ駆けつけた。


ワカ姫のエピソードはこちら↓

イサワの宮でアマテルに仕えていた息子タチカラヲから事情を聞き、オモイカネは「高間殿(タカマ)」の議会を収集した。

オモイカネ主導の下、アマテルのお出ましを願う為の「祈り」をおこなうのである。

役割分担は下記のようになされた。

●ツハモノヌシ(兵主神)
マサカキの上の枝に瓊玉を、中程の枝にはマフツの鏡を、そして下の枝には和幣を掛けて、祭りの場を設けた。

●ウスメ(天鈿女)達
踊り手として、日蔭蔓の蔓で襷掛けし、錦で柄を巻いた矛を持たせた。


そして、朮(オケラ)を焚いて庭火とし、篠を活けて結界を作り、笹で湯を撒いて場を浄め、中央に御座を敷き、篝火を舞台照明として灯した。

準備が整い、始められたのは『常世の踊り』。


常世の長鳴き鶏の鳴き声に似せた音階に、クニトコタチ(国常立)を想う歌詞をつけたと伝承される、
『ナガサキ』というウタが歌われた。

🎵
カグの木枯れても匂ゆ 萎れても良や 
吾が夫(ツマ) アワ 吾が夫アワヤ 
萎れても良や 吾が夫アワ
🎵


皆は岩戸の前を陣取り、歌や踊りに酔いしれた。


その様子は、岩戸に籠るアマテルにも聞こえてきた。

アマテルは、その目で見てみたいと思い、少しだけ戸を開けた。


その瞬間を見逃さなかったタチカラオが、その戸を渾身の力で開け放ち、アマテルの手を取り岩室の外へと連れ出した。

すかさず、ツハモノヌシが岩室の入り口に注連縄を張り、アマテルに「もう岩室には戻らないで下さい」と伝えたのである。


これがホツマツタヱでの「天の岩戸開き」でございます。



正史とは似ている点も、似ていない点もあるが、やはり考えねばならないのは、「お隠れになる」の表現である。
神や皇室にとっては「お亡くなりになる」ことを意味するからだ。


様々な解釈があるが、代表的なものは、その時代なに『日蝕』という怪奇現象が起こったと言われていることだろうか。


しかし、ホツマツタヱの登場人物は、『人⇒神』という程に、極めて人間臭いエピソードが満載である。

太陽(神)が隠れる『日蝕』となる表現は、明らかに自然信仰、アニミズム信仰だ。

これもなにかの比喩であり暗号。

どなたかが亡くなったことを意味している。

そして、アマテルが岩戸に隠れたキッカケは、セオリツ姫の妹『ワカ姫ハナコ』の死である。


アマテラス大御神が何故「女神」とされているのか。


伊勢の内宮の御神体の柱は、男性神を象徴している。

一説によると、日の神にお仕えする巫女さんが、そのまま神格化されたのが、現在の女神アマテラスだとも言われている。

日の巫女というワケだ。


もしかすると、岩戸にお隠れになった太陽神とは、亡くなった『ワカ姫』であったのかもしれない。


ホツマツタヱに『ワカ姫』は二柱登場する。

アマテルの姉(妹)『ワカ姫ヒルコ』と、
セオリツ姫の妹『ワカ姫ハナコ』。

ワカ姫ハナコは「ワカサクラ姫」とも呼ばれ、セオリツ姫と共に、初代オオヤマスミ(サクラウチ)の娘である。


まさに『コノハナサクヤ姫』を連想させられる。
※ハナコとは別神とされているが…


そして、コノハナサクヤ姫もまた巫女だと感じる。

それは古代の神事、マツリゴトを決める時の『フトマニ(太占)』の内容から読み解くことが出来る。


古事記では、天岩戸隠れの際のシーン、
「天の香具山の鹿の骨を抜き取り、天の香具山のハハカの木で占う」という記述である。

ハハカの木とはウワミズザクラのこと。


つまり桜🌸


鹿の肩甲骨をサクラの木の炭火で焼き、骨の割れ目の模様で占うのだ。

キーワードは「桜」と「鹿」。


サクラと言えば、やはりコノハナサクヤ姫であり、
その別名は『神吾田鹿草津姫命』。

「鹿」の字をわざわざ入れているのは、そういう理由なのかもしれませんね。


そして、隼人族の紋章↓。
これは、コノハナサクヤ姫とともに、
踊り子『ウスメ(アメノウズメ)』の「ウズ」とも関連していると密かに睨んでいるが、それはまた別のお話。


そして、お隠れになった後に復活した太陽の神が、イエスキリストのイメージと重なるところに、渡来人の思想とアニミズム信仰が溶け合った日本ならではの神話だなぁ…と改めて感じる今日このごろ。



次回は、ソサノヲの裁判が開かれる。

どうなることやら。。。


つづく。


ではまた❗


参考資料↓

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