↑のつづき。


さて、引き続きホツマツタエのお話を抜粋しながらお届けしたい。


『ワカ姫』という女神がいた。


この女神は、イサナギ・イサナミという両神の第一子として産まれたが、この両神ともに、この年は『天の節(厄年)』てあった為、両親の厄災が産まれた子にも降りかかることを恐れた。


その結果、『ワカ姫』を「捨てたふりをした」。


示し合わせたように、別の神に「拾わせた」のだ。



つまり、お気づきの通り、『ワカ姫』とは『ヒルコ』のことである。


消された謎の女神『ヒルコ神』が捨てられた経緯がホツマツタエに記されている。



ワカ姫は『カナサキ』という神に拾われ、育てられることとなる。


この『カナサキ』とは『宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)』のことであり、古事記では『穂高見命』の名としても伝わる。


海神『ワタツミ』の子。


穂高岳に降臨し、信濃国の「安曇氏」の祖神ともされているのだそうな。


穂高岳を御神体とする穂高神社の祭神は、やはり『穂高見命』『綿津見命』である。


養父カナサキは教育熱心であり、ワカ姫に『アワ歌』を教え、様々な学問を説いた。


例えば、『東西南北』の由来について。


古来、東西南北を『キツサネ』と呼んでいた。


・太陽が昇る方角を「日頭(ひがしら)」と言い、『東』の語源となった。


・太陽が一番高く昇るころ、皆が物を見ることが出来るため、「皆見(みなみ)」つまり、『南』に。


・南を過ぎて、太陽が沈む頃、燃えたぎるように「煮え沈む」。「二えシずむ」が縮まって『西』となった。


・宮は南向けに建て、お客の来訪は北に始まり北に終わる。「北(ネ)より来た(キタ)りて、寝(ネ)に帰る」。だから、『北』を「ネ」ともいうのだとか。


北の方角はネズミ、つまり「子(ね)」だとは知っていたが、十二支を方角に当てただけだと思っていたので、これは勉強になる。


『カナサキ』は大変優秀な教育者だったことが窺える。

教育原理を実践し、長寿であったため、『スミエノオキナ(住吉の翁)』の称号が与えられたらしい。



そんなカナサキに育てられたワカ姫もまた、聡明な人物に育ったようだ。


ワカ姫が「イサワ(伊勢)」の宮に仕えている時には、イナゴが大量発生し、稲作に被害が出たことがあった。

それをあの『セオリツ姫』と共に、まじない歌を用いて解決した…という逸話も登場する。


ワカ姫の功績で稲が若返ったため、その地を『ワカの邦』と呼ぶようになった。


現在の『和歌山県』のことである。




『ワカ姫』は、日本の文化『和歌』を確立した人物であった。


それを「ワカの歌」と言い、漢字伝来後に『和歌』の字が当てられたのだという。



そんなワカ姫も恋に落ちる。


『アチヒコ』なる人物に恋をしたワカ姫は、思い兼ねて、歌を読み、届けさせた。


恋文である。


その内容が秀逸なのだ。


キシヰコゾ 

ツマオミキワミ

コトノネノ

トコニワキミオ

マツゾコヰシキ


つまり、キシヰ(ワカの邦)で会ったとき、琴の音のように胸が高鳴って、寝つけないほど、貴方を待っています。それほど恋しい❗


というような意味だが、この歌の面白いところは、なんと、「逆から呼んでも同じ歌」となるのだ。


「しんぶんし」逆から読んでも「しんぶんし」のレベルとは比べるまでもない。


これは上から読んでも下から読んでも同じ意味を持つ「回り歌」。


言葉を変えることや、言葉を返すことを封じ、詠み手の願いを叶える呪力があるのだそうな。。



その後、アチヒコはワカ姫と結婚することとなり、ワカ姫は『下照姫』の称え名を賜り、アチヒコは「思い兼ねる」という此度の一件から、『オモイカネ(思兼神)』と呼ばれるようになったというのだ。



色々と衝撃である。


ヒルコ=下照姫もビックリだが…



ワカ姫つまり『ヒルコ』の夫が『オモイカネ』。


古事記では、『オモイカネ』は天照大御神の岩戸隠れの際に知恵を貸したという知恵の神である。



また、飛騨口碑では、『ヒルメムチ』の夫が『オモイカネ』とされている。


ヒルメムチという女神は、後の『天照大御神』のことだ。


つまり、こういうことだ。


『天照大御神』とは、男神『アマテル』と、その姉『ワカ姫ヒルコ』を掛け合わせた存在である…と。



つづく。


ではまた❗




参考:『はじめてのホツマツタエ』


 

  

  

 




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