保育園の数が足りないのに加えて、自分の家の近くにそれが出来る事を良く思わない人達がいる事に、坪倉総理は疑問を持っていた。
毎日、朝から小さい子達のきゃっきゃっした声が聞こえると、何となくホッコリするし治安も良く感じると思っているからだ。
だが、そんな状況を騒がしく思う住民が存在するし、電車やバスで赤ん坊が泣いていると文句を言う人までいるのだから、子を持つ親にとってはそれも子育てがし辛い原因の一つだろう。
ある女性が赤ん坊と新幹線に乗る際、乗車している殆どを座席でなく車両間のデッキで過ごす事になる為、指定席ではなく自由席を買う事にしていたという。
朝の通勤電車に女性専用車両が出来たように、新幹線でも子供連れ専用車両というのがあればと、テレビでコメンテーターが言っていた。
「総理、子育てをしている人達の中には共通している不安要素があるようですよ。」
秘書官の木村慎吾が新聞を手にしながら言った。
「不安?」
「ええ、やはり教育費がいくら掛かるのかを不安に思っている親御さんは多いようです。」
「そうですか・・・。」
「それにワンオペ育児や叱り方が分からないとか。」
「叱り方?」
「はい。」
「そんな事まで?」
「今は叱れない親とか、娘と友達のような関係でいたいとか、そんな母親もいますから。」
「それって過保護とどう違うんですか?」
「違わないでしょう。」
「子供が悪い事をしても叱らないんですか?」
「はい、その叱り方が分からないようで・・・。」
「それは問題ですね。」
「子供が中学生になったらナメられる親も出てくるのではないかと・・・。」
「ですよね?最悪はキレて親を殺してしまったなんて事件もありましたし・・・父親も叱らないんですか?」
「家の中同様に子供の教育や躾は奥さん任せにしている所が少なくないようですね。」
「父親と子供のコミュニケーションがとれてないという事ですか。」
「とれていても子供とゲームをやるくらいで、それ以外は特に・・・。」
「でもそういう家庭ってごく一部じゃないんですか?」
「そうだといいのですが・・・今は小学生も塾やお稽古事で忙しいようです。」
「なるほど、最近は自転車で走り回って遊んでいるような子供がいなくなりましたね。我々が小学生の頃は、空き地で野球してるか自転車で走り回ってるかだったのに。」
「そうですね。今は野球よりサッカーの方が人気がありますから、昔のように野球帽を被った小学生も見ないですよ。」
「ホントですね。昔は殆どの男の子はジャイアンツの帽子を被ってましたが、阪神、中日、日ハムの帽子を被っている友達もいたもんです。」
「総理もそうだったんですか。」
「勿論ですよ!プロ野球選手になるのが夢でしたから。」
「へえ、そうなんですかぁ。」
「子供の頃は外で暗くなるまで遊んで、塾なんて中学生になってからでしたよ。」
「昭和の頃はみんなそうだったかも知れないですね。」
「世の中全体が穏やかでした。」
「確かに・・・。」
「都内でも広い空き地がそこら中にあって、学校が終わるとそこに集まって野球したり廃材を集めて基地を作り、買って来た駄菓子をその中で食べるのも楽しかったもんです。」
「駄菓子屋も今は無くなりましたね。」
「駄菓子屋も少なくなりましたが、悪い事をしていたら叱ってくれる近所の大人というのも今は皆無でしょう。」
「隣近所とのコミュニケーションを嫌う人が多くなりましたからね。」
「木村さんの子供時代も同じですか?」
「勿論ですよ!総理より3つしか変わらないですから同じ時代です。」
「じゃあ空き地で野球やりました?」
「やってましたね。あの頃はボールが道路に転がって行って車にボン!ってぶつかっても怒られた記憶が無いですよ。」
「ああ、そうでした。それだけ穏やかな大人が多かった。だから僕らも伸び伸びしていたような気がします。」
「今から思えば、あの頃がいちばん良かった時代だったのかも知れませんね。大人も子供にとっても。」
「ぼくもそう思います。だけど過去ばかりを見ていてはダメですね。我々は将来、いや、明日からでもこの国の人々が幸せに暮らせるよう、全力を尽くして行かなければなりませんよ。」
昭和から平成、令和へと移り変わる中で失ったモノ、新たに得たモノはそれぞれあるけども、古き良き時代の面影を残しつつ国民が安心して暮らせるよう、明るい未来にしていかなければならないと坪倉総理は思うのだった。
〜つづく〜
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