いつ何どきふと煮 | やりようないブログ

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やりようねぇな、と言います。

おめでたいことが続いております。。イェー。それは毎年 定期的に年が明け正(まさ)に月が舞い出てくることです。。毎年です。。それで続いていると申し上げました。
。。。めでたいので句読点がエサみたいに一杯。疑似餌先生。
そう言うのにも暁憶えない感じの春眠があったりすること宜しく、それは新年で、春で、すげ替わりです。
アンパンマン系の偶像が顔面に新しい顔面を叩きつけられると全く新しいものにすげ替わるのと同じで、皆神社や餅屋などに行って何かをすげ替えるのではないでしょうか。
それは気持ちであったりアンパンであったり車のケツに貼るシールであったりするものの、それによりクリスマスや大晦日の騒ぎや大切さが忘却されてしまう悲しさを私はカメラに収めてなんぼってな状態です。
都合がいいもんで、楽しい事の後にはすぐ楽しい事があるとばかり人民は思っています。そんなことなどある訳はなく、大体デスレベル3くらい不都合な事がおこるものです。
大晦日に正月と楽しいようでいて、実はその合間合間にはマダツボミのように頭を垂れて考えるべきことが無尽蔵とあります。なにせ年が変わる。歳を取る。カレンダーをちぎり放つ。良し事ばかりではありません。
ああこのちぎり放つ一瞬の間に、どれだけの怠惰な時間の遣い方が凝縮されているだろうと、紙の製作会社のことも考えずにと、そうした空しさが湧き出てしょうがないですものね。
学刈さん。ジョーガンネ 玉落とし わずかかよ!みたいなね。
かくいう私に至ってはジョーガンネも2通ほどの僅かさ、むろん落としのほうも無払いってなもんで、下手にニコリニコリしてたらバチが当選します。
そういったもんで、油断はいけない。でも浮かれたい。。正に月なんだし。。では先だってのクリスマスやらの浮かれは何だったのか?もういいだろ?ほらみろと。
毎年大晦日ってのはその爆発的なイベント性浮かれに半分脳を蕩かし、もう半分では「ごめんね己!」という無限の侘しさに苛まし、大変なことになります。そうならないようには、ほれ。
年越しそばはそうした躁鬱をニュゥッと治める作用があるんですよ。助かるもんな~。思い込みだけど。
年スタートの初っ端っからそのまやかしの沈静をしなきゃならないくらいですから、今後の思いやられったらないものです。年越しそば食ったし大丈夫、じゃねえよ!
私もうまい事前年の反省をやり遂げながら年を跨いだ経験がほぼないので、つまるとこ詣でに託します。
人間の詣でへの信頼は並じゃあない。特に、初のそれは格段に。
でも何があろうと、年末まで処理できない問題があろうとなかろうと、結局年始の一発のそれに帰着してしまう人間てえのが可愛いのです。
大吉が出ても大凶が出ても小吉が出ても楽しめる人間のタフさ、エンタメ力。エイベックス顔負けです。
神頼みといいながら自分の意思と運のギャンブルに遊ぶ人間の好奇心と自由力。
最高の力を身につけておるんです。そうでしょうが。
春っから、人間がたいそう好きです。
人間が人間について考えるときの人間とそのときの毛髪とかが好きです。
そんな事を考えているとそれなりに貴重で先の事とか冷静に考えるべき正月の時間がラッサァッと言う間に過ぎてっちゃいます。過ぎてっちゃいました。
自分のことは棚に上げて、棚のことは、手紙に書いて。


だもんだから年末年始は「ばっ、ばっかやろぉ~~っ」って言われるくらい帰省していました。
ビバ帰省!帰省はいいもんですね。ビバ帰省胸を張れ。
何がいいって、辺り一面を流れる空気の旨味。物理的にだけでなく、気持ち的にも格別の妙味。
都に生まれていたらこんな経験は無かったろうと考えると内臓(もつ)がブルッとします。
前年のお盆的な時間帯にも似たようなことをここでわめいていましたが、全くデジャヴさんです。一生、一緒のデジャヴ。俺を信じなさい。
都が前より好きになりまたいいところを沢山見つけられる大人になりつつも、里の力の前では屁に同じです。都も頑張ってるのは確かな部分。
「里はよかろ」「ところでなぜまだ都に」という二極のリアクションもされつ、のんべんと過ごしました。ありがとうございます。
ありがとうとはおかしな話で、私の一存でいくらでも帰省することができ、また都に帰らないことも平気で出来ます。それが怖い所。私の一存とはいえ、私の一存にも程があるのです。
なにせMAXフリーター状態、さらにコンビ解散で活動縮小中ともあればもはや帰省ではなく移動です。ゆったりと大地に預けられた移動。何もかもが私の生活の一部です。その中にたまたま正月ってえのがほり込まれていたってだけで。
だからほんのりとした“帰省しすぎ”に対する不安もあって然りです。こんなに、帰省して・・・!もう・・・!幸せ噛み締めて・・・!
もう失礼しちゃう、ってなところでトロトロになりそうな所をぎりぎりで堪えました。
家族をじっと見て幸せを誰より噛み締めることによってですね。
いや~噛み締めた。言うまでもないことですが家族が何よりも大好きです。大切すぎる時間はどうにか葛藤を減らして昼まで寝ていようと。
その結果。
風邪こそ引いたものの、栄養もたっぷりで「フ~また東京か久しぶりで飛行機ちゃんと飛行すっかな~」っていう、初心に帰り過ぎた心持ちで帰京することができたんですよね。言ったっけ?言ってないね~。
私は頭が固くその場その場のことしか考えられない人員(ブタ)なので、初心に帰るってえのがとんと苦手なんでしょうよ。でもそれができました、ヤァ!全て栄養!栄養と保健。
たまげたぜ。
ありがとうございます。
栄養が全てでした。いかに東京にて、大食漢を少ない栄養で無理やり満たしていたかが帰省してわかったというものです。

さらにいうならそこに尽力する見えない力といえばそれはキングオブ筆頭。筆頭の。私の友輩です。
彼は長い付き合いさながら私が絶妙にこうされたいここまでは範疇だという部分を結構分かっている。それは栄養や生活に関しても無論です。
栄養を与えたい一心が私にデラデラと伝わるの宜しく、私を栄養の旅に連れて行ってくれました。
佐賀から隣県長崎への一泊旅、素晴らしい眺めのデラックス佇まい系宿、露天の温泉、ふかふか日和の畳の和室。うわあと興奮と幸福で私は眠れませんでした。
こいつにいつか返してやらねば・・・と思いつ、でもその為に頑張るってのも違うなあという腑の落ち。なんてマイペースに帰省して、友輩がグースカ寝てる横で最高の夜景を浴衣着て見てんのか。そういった。
いや~ウフフという高揚に悦を見ました。
長崎の自然を見、動物を見、里に戻って焼肉を食い。宿から何から全ての出費は彼の懐中から。
私も人の面倒を見たり可愛がるのは死ぬほど好きなほうなので、しかしそれをこいつにしてやれないもどかしさも有りでさぁ。そりゃそうで。

会わぬうちにようやく大人になっていく彼の人生観やあったかい話を聞きぺろんと別れながら、そうなるとやっぱり財力や生活力といったものも馬鹿にできねえよなあと感ずるのです。
お金があって初めて出来る事がこの世に一杯あるはずなんですねえ~。お金がないと出来ない事ってのは、お金がないと出来なさ過ぎてもうお金以外に責任や原動力を転嫁しちゃう。
それはいけないのではないでしょうかと。ばかみたいに上京したなら特にね。
ばかみたいに上京した訳ではないけどね。失礼しちゃう。
でも上京は別として馬鹿か否か?と訊かれると大馬鹿なので、お金のことをしっかり考えなくっチャいけないのかなあとした類の圧の意識を考えます。
堅苦しいのがまたいけないのかな。堅苦しいとされるこの肉体を限界突破したいね!
くすぶるハートに火をつけたり。クリリンの頭をボールと間違えたり。
間違えられたクリリンの気分を鑑みてもみろよ。
そいつも含め、近しいやつの結婚や出世、頑張り認められ系報酬とかを全力で応援したいなと思うのです。今年は。
言っても、他人の幸福もそれなりに蜜っぽい味がするのがこの世の憎くてたまらない点で。
年始のおもしろ荘ネタスペシャルに養成所の同期が堂々と出ていたので、それはそれでなんて影山的衝動をもたらしたものかと足が感動しました。