むなっむな | やりようないブログ

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やりようねぇな、と言います。

飼い慣らされそうになったし車に轢かれそうになった犬くらい平常心!
そんな事をファミコン本体や飴を見ながら言っていますが、ありがたいもので冬の寒さが近付いていますし私の体重も落ち着いてきている場合さえあります。
というのにもT京にきてから慣れない街加減に肉体のアップダウンが激しく、食えど食えど腹は減り、しかし栄養は体にいかず外へ旅に出てしまうのが常勝立海大でした。やはりトリ頭の男一人で栄養管理など急にできず肉バランスはバーサク状態に陥るばかりです。
はてに今夏なんかは、ユニットライブの練習のさなかバタンキュウ系美人に成り下がって、ようよう白くなりゆきながら後悔する始末。いけないわ、いけないわ癒えないわ傷の血小板。
いけないわなど口があれば言えることです。実行に移すのはいつも失敗して奥歯とか取れてから。つうことで、そっからはちいと栄養に気を配る素振りをみせ、1日の食費も+100円ぱかし盛るなどにこにこしてきたわけですよ。
ギャア先生!自分という名の先生には反抗しません~。
の結果、ギャア先生、それは一体誰か、それは自分で、そういった部分もあったため体は好い方に向かいました。金輪際向かいました。
思うにブログや日記ってえのは、こんなふうにやれ栄養が若干とれてるだの血糖値あがっただのGパンの裾上げしただの ほん~~の些細な変化を、いかに楽しめるかによってその所在が変わってくるもんだと思うんです。だから楽しいんですね。ほんと、だから無限に書くことができますし有限に書いてはいられない。そうなんですね。。
まぁそれは置いておくとしても些細な変化ながら、まして体重計を購入したこともあり自分の体重(ライフ)が上々することに喜びを禁じ得ないってえなもんです。
自慢ですけれど、私は回転寿司を40皿食うほど大食いながら体は非常に妖怪のように細く。スリムというても世辞にならんくらい肋骨とか丸出しで。ですから、他人や同年代の平均体重やBMIの情報など参考にも友情にもなりません。
いかにこの細い体で大食いという組成を維持しながら、病気もなく毎日笑って生きていけるか考えるのが楽しくて、他人のことなぞ気にせんと楽しくて、やりようないものです。
私のこの組成に敵があるとすりゃ、それは女性でしょう。女性は細え。そして食う奴は食う。負けたくない。
負けたくなさはロックマンX4で仲間由紀恵が歌ってた曲の歌詞並みですが、連中といつか寿司を食って肩を叩き合う大会に団体登録したいなと感じます。


とはいいつつ部屋にある飴の数に比例してか、私は気違いや宗教勧誘、マルチ、ホームレス、シャブ中などの方々に関わりをもたれる事が非常に多いです。
それぞれのメリット・デメリットを急激に考えるとこうなりますわなあ。
『気違い』
メリット:退屈しない、親近感、気を遣わない
デメリット:観衆に目立つ、鬱陶しい
『宗教勧誘』
メリット:根はまっすぐな者が多くはじめは可愛い、会話が妙
デメリット:面倒臭い、目が怖い、そうと分かった時の苛立ち
『マルチ』
メリット:適度に変わっていて面白い、流していれば人恋しさ解消に便利
デメリット:うそ臭い、すぐ怒る、そうと分かった時の空虚さ
『ホームレス』
メリット:優しい、肝が据わっている、話したがりで可愛らしい、謙虚
デメリット:衛生、緊迫感、絶望感
『シャブ中』
メリット:面白い、気を遣わない
デメリット:いかつい、面倒臭い
やだ箇条書きなんかして!まるで 夏休み終えたての 若い翼よ。
箇条書きにしたくなるほどこのカテゴリたちは五者多様に個性があって、客観的に見ればどんなフィクションより川のぬしつりより面白いです。
比較するうえとして、特筆すべきは『人間味』です。
勧誘、マルチは人間味がありません。私どもを利用し、結果自分の悦楽をえたいからのあの凄まじい行動力・積極性、自尊心。それは人間味ではなく、いや勘弁してくれマジあっちいきんさいよ的なむずがゆい無機質さです。
対して気違い、シャブは人間っぽさを理性の核もろともむき出しにしたもんで、一見デンジャーでやりようないように見えるし自覚もないながらも、ある種可愛らしくて儚さが湧き出ていて、このやろう(拳)と思うもんです。
ではではそこにきてホームレス、いわゆる浮浪の人々はどうかと。
ほかのどのジャンルとも違ってスーパー人の要素を残しつつ無機質な部分もありながら、結局は社会の暗部、語るだけやぼで下世話な印象のつきまとう、とても特異な存在であると1目置きまくっておるのが日常なんですねぇ。

私はうら若い頃よりこのような人々と接することが多く、ときに血肉とし悲しみとし面白エピソードとしてまいりました。どうして私かと考える夜もあります、が5秒考えればそれは目が怖いからに他ならないでしょう。
そして現在、ビラ配りという職業柄、つとにこの連中から接せられることが常勝立海大ではないでしょうか。
先日こんな事がありまして。きゃー日記!
それはいつものように渋い谷でビラ配りしている時のこと、スクランブル交差点の眼前、ハチ公口から向かって正面の斜の辺りの木陰に住をおく浮浪者の方がおるのですが、その方にみた最大限の悲しみです。
彼はいつもやんごとない体勢で暮らし食うものも常にどこかあり、大量の紙袋や布袋に所有物をまとめつつ、ときに雑誌など読み、ときに子連れの母親を見てほほえみ幼子に飴をさしだしたりと、毅然かつ悠久な生活をおくっています。
佇まいもどこか遊牧民のようでいて何より表情が爆発的に穏やか。尊ささえよじり見えます。私も勤務のさなか風景としてなくしてならぬものと感じる次第で。
そんな彼と悠久のビラ配りの時間をすごしていた先日の夕方、おもむろに彼の住居あたりにどよめきがありました。
ぱっと見ると、石段に背をもたれずるずると腰を落とす奴さんの姿。殴られたボクサーのよう。
実際に彼は殴られていて、それも心ない2人の若者が近くにおん立って見下ろしの、いきさつは分かりませんが、さらに殴るに足らずか顔に蹴りまで加えるのです。
ぞっと感じます。浮浪者に難癖をつけるなどあり得ない事態ではないにせよ、屍のような顔で頬に打撃をうける奴さんの姿。これは、この国この時間すべてがイカン、と戦慄するのです。
ところが、若者が蹴りを加えた直後、ざっと駆けつける者が。なんと、いつも見る顔のキャッチのお兄さん。そのお兄さんが割って入り「おいやめとけよ」とオヤジさんを庇う。くずれた体を抱え若者を睨む。
いつも精悍でかっこええなーと思っていた風俗のキャッチのビジュアル系色白お兄さんですが、好印象をはるかに凌駕するとんでもない活躍をはなち、私も「日本男児すぎるだろ」と感銘を受けて硬直してしまいました。
さらに若者を「落ち着けよ」と引き離し去らせ、オヤジさんに駆け寄り抱き起こしては、まだ煮えきらぬ顔を残し仕事に戻ろうとします。そこへキャッチ仲間が現れ何事かと訊かれてさらに日本男児な事をはなつ彼でした。「俺、ああいうのってほんとイラッとくるんすよ」。怒の顔で。いや聞きましたか奥方。とんでもねーよ。
はぁ~まだまだこの谷も無碍には扱えんなあとほくほくして幸せなんですけれども、兄さんの勇姿と重ねて、終始ちらつくのは、渦中のオヤジさんの面構えに他ならないのです。
なんて表情だったかあれは?、と・・・。
殴られ崩れた顔、蹴られた顔、兄さんに抱きかかえられた顔、難が去ったあとの顔・・・。私は忘れることができません。そりゃできませんね。あれは、普通の浮浪者の感情ではなかった。
毅然の象徴である一浮浪者の穏やかな表情が、まるで娘を誘拐された父親のごとく落胆、意気消沈、真っ暗と化し、若者をにらみ返そうという意欲さえ微塵もないのです。かといって、「こんな事予想できたことだ」なんて諦めの達観もない。ただただ、落ち込み、しょげていた。悲しみの衝動の塊です。
感情移入するに至るすきもないほどホラー漫画の主人公のように落ち込み、可愛いほどに元気をなくしておったのです。物憂げともいえましょう。ことが去って以降の彼は、雑誌を読む手、歩く足、全てがスローモーで顔もうつむきから戻ることはありませんでした。なんて虚しい感情をまとうのだろう。俺みたいな煮豚にはできねえよ。
兄さんの勇姿さながらに同時録画したその光景は、私の臓物のあまった部分にブローをかまし胸の苦しさを与えたといったところです。

そうした、珍妙な事件なのでした。
かといって、現代のクソっぷりだとか、社会の闇だとかに限ることのできぬ大幅に人間的で可愛ささえ持つ芸術的なほど虚しい事件で、クリスマスに1人部屋でじっと見ているローソクの炎のように胸部をなぜか温める方向に持っていきます。どこまで生きても、人間の可能性。人間の力。グワッ!私も拳に力がはいるぜ深呼吸とともに。
そういったものでしたよね。
愛嬌たっぷり、それが人間ってもんででんぐり返し別離、そんなもんじゃ帰しませんよお。
東・京も5回に1回くらい悪くないものです。
鍋を食べるかしら。よく笑う人とかつねったら嫌がる人とか遊びに来いよ。