人事労務日記~所長のつぶやき~ -14ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

令和7年6月9日

 

  世の中には杖を突いた高齢の私や大きなお腹の

妊婦さんが乗り込んでくるのを見ながらも優先席を

譲ろうとしない元気なお年寄りがいる一方で、

不自由な人を心配してくれる心優しい高校生も

いるのです。

 

  まさに「人色々、人情色々の世の中だなぁ」と

ある日電車内で思ったのでした。

令和7年6月7日

 

  学生時代はすごく優秀で一流高校や大学に進み一流の

会社に就職した人も、

勉強が苦手で中学卒業後に直ぐに就職した人も、

 また、サラリーマンとして出世した人もそうでない人も、

着地点までのプロセスやそこで見てきた風景は異なっても、

 

 人生の着地(旅立ち)そのものは、結局、皆同じ、

横一線で終わります。

令和7年6月6日

 

   同じ会社で、同じ人事制度のもとで、同じ仕事

をしていても、

上司が変わるだけで評価も正反対に変わってしまう

こともあるのは

なぜなのでしょうか。

 

  そこに上司との相性とか好き嫌いが入ってくるのでは

ないでしょうか。

令和7年6月5日

 

  私は最近よく「ケセラセラ」の歌を口ずさみます。

「ケセラセラ」とはスペイン語で「なるようになる」

という意味だそうです。

 

  “その内なんとかなるさ”といったおおらかな

心の持ち方や気持ちの切り替えが、人生を

生き抜いて行くためには必要なんだなと

改めて思ったりしています。

令和7年6月2日

 

  人生とは、一つのドラマです。

勿論、そのドラマの主人公はその人自身です。

上手く演じられる人もそうでない人も「自分のドラマ」で

「主人公」を演じるわけですから、悔いのないドラマに

したいと一所懸命に演じます。

 

  そして誰もが、ドラマ終演のとき、

“あぁ、いい人生だった!”と思いながら旅立ちたいと

願っています………

令和7年5月30日

 

  高齢化が進み養護が必要になると、核家族という

世間の中では、施設に行かざるを得ません。

 

  一人の人間の生きる生活を支えるのは寄り添いが必然ですが、

十分な介護体制を今の社会は持ち合わせていません。

結果として、不十分な養護による不十分な生活状況になります。

養護する人も養護される高齢者も、不都合な状況に追

い込まれかねません。

 

 「少子高齢化」という今の時代は、若い人にも高齢者にも

厳しい暮らしを強いるようです。

令和7年5月29日

 

  私も人生の終盤が近づくにつれて、人生で最後に

残る大切なものは何だろうか、と考えるように

なりました。 

 

  そして・・・一番大切なのはやはり「思い出」

ではなかろうか。そして、その「思い出を作るために

もっとお金を使うべきではなかろうか」と考えるよう

になりました。

 

  「お金を貯め込むのではなく、もっと有効に使う」。 

これが人生の最終コースを歩き始めた私の新たな目標

となったのです。

令和7年5月28日

 

  テレビで、デパートの特売や人気ラーメン店などで

人が長蛇の列を作っているのを眺める度に、日本人は

行列を作るのが好きだなぁとの思いをすることが

あります。

 

 そして、精一杯列に並んで生きた人生を全うしても

最後には火葬場での行列が待っています。

 

  三途の川を渡っても閻魔様の前でまた行列とは、

なんとも世知辛い世になってしまったようです。

令和7年5月27日

 

  一説によると,高齢になって妻に先立たれた夫の寿命は

平均3年なのに対し,夫が先に逝った妻の寿命は平均15年

だそうです。

 

  独り身なってからの生活は、長年妻に寄りかかって生活

を送ってきた夫の方が、その辛さを強く感じるからなのでしょうか?

 

  でも、これは飽くまで平均での話。

当て嵌まらない人も沢山いることでしょう。

私も妻に先立たれてから今年で10年目に入っています。

 

 

 

令和7年5月26日

 

  人は誰でも組織のてっぺんに登りたがります。

でも一度てっぺんに登ってしまうと

あとはそれを守るために汲々としてしまうようです。

 

  某国の大統領を持ち出すまでもなく、そんな例は

世間に沢山あります。

だから、

“人生は「そこそこ」が一番!”と、

「そこそこ」に人生を歩いて来た私はいつも思って

います。