令和2年9月11日
「人の振り見て我が振り直せ」という言葉があります。
直せというのですから、人のいけない振舞いを見て、
「そのいけないところに気付いて、自分の振舞いを直す
切っ掛けにして」ということなのでしょう。
人は他人の「至らさ」にはよく気が付きますが、自分の
「至らなさ」には気付かないものです。
だから、昔からこのような格言が伝えられているのでしょう。
それにしても昨今は、自分の「至らなさ」に気づかない
(または気づいても気にしない)人が多くなったようです。
令和2年9月11日
「人の振り見て我が振り直せ」という言葉があります。
直せというのですから、人のいけない振舞いを見て、
「そのいけないところに気付いて、自分の振舞いを直す
切っ掛けにして」ということなのでしょう。
人は他人の「至らさ」にはよく気が付きますが、自分の
「至らなさ」には気付かないものです。
だから、昔からこのような格言が伝えられているのでしょう。
それにしても昨今は、自分の「至らなさ」に気づかない
(または気づいても気にしない)人が多くなったようです。
令和2年9月10日
多くの場合、物事の進行は真っ直ぐに進まず,紆余曲折
があります。こっちに行こうとしたが,思い直してあっちに行くことに
したとのたぐいです。
人ばかりでなく国が紆余屈折することもあります。
一度造った制度や法律が施行してみて、その弊害が予想以上に
大きい場合などです。
そんなときは、紆余屈折を躊躇していると益々国民が苦しむことになります。
個人情報保護法が制定されて以来,その趣旨が勝手に一人歩きして,
住所氏名が秘密扱いになりました。表札を掛けなかったり,電話帳に
掲載しなかったり,児童の名札が携帯されなかったり,自転車に記名が
なかったり,世の中が匿名化されて,とても不気味になってしまいました。
このままでいいのかどうか今一度問い直した方がいいかもしれません。
令和2年9月9日
最近、介護問題が非常に多く取り沙汰されるようになりました。
それだけ「介護」が、誰にでも何れ訪れるであろう人生の一大事
として関心が高まってきているからなのでしょう。
私も今は元気で一人暮らしをしていますが、ときどきフッと
“自分の介護は誰が…?”と頭に浮かぶことがあります。
もう人生を共にした連れ合いはいませんので、気兼ねなく面倒を
見て貰える人はいません。
そこで結局、この問題を考えると、いつも頭を振りながら、
“今から先のことをあれこれ心配してもストレスが溜まるだけだ。
先のことは、ケセラセラ(なるようになる)さ”との結論で、
終わりになります。
令和9月8日
思えば、サラリーマン人生とは、階段を登って行くような
ものかもしれません。
「会社から目標が設定され、それに辿り着くため、
自分で小さな目標を設定して一つ一つクリアーしていき、
やっと会社目標を達成する。でも、当初の目標を達成しても、
また新たな目標が設定されているので、更にそれらにチャレンジ
し続ける・・・・・・」。
まるで「階段を一段一段登って、やっとの思いで二階に辿り着く。
でも二階に行ってみると、三階に続く階段がある。その階段も
登り続けると、また四階につながる階段がある・・・・」。
これでは“何階まであるんだよ!”と嘆き節でも出てしまうでしょう。
サラリーマンは、実に辛いのです。
令和2年9月5日
今日は土曜日で、朝の電車も空いていましたが
それだけに目につくことがありました。
狭い座席を偉そうに占領している人です。
エラそうな座り方の代表例は、大股開きと足組みですが、
要は「俺の隣の席には座りにくいぞ!」と誇示するように
座るのです。自然界でも人間界でも、縄張り争いは
付き物ですが、電車内における座席の座り方にもそれが
現れるのです。
つまり、自分の座る領域(縄張り)を広く確保しようと
するのです。自分の身体の領域を増やすために一番簡単
なのは、身体を大きく見せることです。
でも、狭い電車の中です。そんなにしなくても誰も挑戦
しませんから、そんなに大きく見せなくても大丈夫ですよ。
令和2年9月3日
第一生命の第31回サラリーマン川柳コンクールの入選作には、
家庭での人間関係をテーマにした句が上位に並びました。
「『ちがうだろ!』 妻が言うなら そうだろう」、
「『マジですか』 上司に使う 丁寧語」
など、妻に頭が上がらない夫の立場を詠んだ句などは、最近の
「サラリーマン」の辛い状況を映しているそうです。
「亭主関白」を気取っていた一昔前の私にはとても理解できない
家庭状況となっているようです。
令和2年9月2日
齢を取ってそろそろ人生の終末を意識するようになると
終活とか遺産相続とか色んなことを考えるようで、世の中には
そんな人を対象にしたビジネスも活況を呈しているそうです。
私は大そうな財産を残すわけでもないのでそんなことには
興味がありませんが、人生の大半がもう過ぎ去ってしまったと思うとき、
今までの人生を振り返り、「楽しかったこと、辛かったことは
何だっただろう」とときどき考えることがあります。
いつも楽しく思い出すのは、まだ妻が元気な頃広島を旅した時
のことです。
私もまだ足が今ほど悪くなかったので、二人でぶらぶら街中を歩いた時
のことがいまでも心に残ります。
令和2年9月1日
私は、毎年暑い夏が来ると、幼い頃、自宅前の焼け野原
(戦争で焼け落ちた工場跡)で、近所の洟垂れ小僧たちと
チャンバラゴッコをしたことをよく思い出します。
あの頃も、暑かった!
汗をダラダラ流しながら近所の腕白たちと棒切れを振り回して遊びました。
バッタバッタと悪者役を切り倒し、気分爽快、得意満面の笑顔で家に
帰ったものでした。そして遊んだ後、母親が用意してくれたタライの行水は
冷たくて心地良かった!
あの頃、戦後間もなかった私の幼児時代は、日本全体が貧しかった。
私も毎日、チャンバラゴッコをしながら、“腹減ったなぁ!”とつぶやいていた
のを今でも覚えています。
令和2年8月31日
私は、結婚するまで自宅に住んでいました。
「学校を出て、就職をして親元に住む」:これは、人から闘争心を無くす
3大要素と言われています。
何しろ、学校に行っているときは、食事も住居費などもみんなタダで住んで
いたのですから、その延長線上にある親元での独身生活が苦しいわけが
ありません。
当時新入社員の私は、ベテラン女性社員によくイジめられていました。
昼間イジメられてショボンとしていても、夜、学生時代からの親友と飲むときは、
そんなことはすっかり忘れてエリートサラリーマンを気取り大ボラを吹きまくって
いました。
今でも酒を飲んだ時、ときどきこんなことを思い出しては「あの頃は
良かったなぁ!」と一人懐かしんでいます…………。